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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅱ―2 ④

 ドラマで主として描かれる城内、その背景には、城内には入れず自刃される方々には観光的にスポットライトが当てられるが、生き延びられた方々は劇的ではないので注目されることはない。海老名リンさんもそんな中のお一人かな。
 そのリンさんの高田についてからの様子は資料で分かるのだが、その高田にたどり着くまでの様子は分からない。しかし、高田に至るその前に、大川を渡ることで難儀をしているはずなのだ。
 近郷の村々へ落ち延びる方々の別例ではあるが、「山本八重(楠戸義昭著)」には、この大川越が紹介される。海老名リンさんもこの例と同じような難儀をしたのだろうと想像することにする。

 郭門を出て高田に向かう大川までの道筋は、幾つかあるように思う。
 石塚観音前を通る道筋、河原町を通る道筋、それに、柳橋を通る道筋等かな。いずれの道筋でも、大川に出るのはおおよそ2㎞位だろうか。
 その途中で、二つの流れに出会う。その一つは、湯川の流れだが、多分、ここには橋が架けられていたのだろうと想像するが、どうだろうか。難儀を想像するのは、次の地元では大川ど呼ぶ川で、阿賀野川だろう。
 この時の大川は元々が大きな流れだが、この時には降り続く雨で増水していて、水の流れが相当に早かったという状況だったらしいのだ。まだ確認はしていないが、「会津若松史」に「市民の多くは市外を流れる大川にたどりつき、小舟で対岸に渡ろうとしたが、運悪く水かさが増しており、小舟が次々に転覆して数百人がおぼれた」と記されていると紹介される。
 この大川越えの難儀について別例が描写されるのだが、その描写されたことから類推すると、ここには検問所があったのではないかなと思われる。渡る手段は川舟ということになるらしいことが伺える。

 ここに多くの避難民が集まってきて、我先にと争ってこの舟に飛び乗るという状況だったらしい。それで乗り過ぎてしまった舟が転覆し、、「会津若松史」が記すような多くの人が流され消えて行ったという状況になったということのようなのだ。その恐ろしい風景を見て、舟をあきらめ、川下の農家に逃げた例も紹介される。

 海老名リンさんの資料ではこの部分は紹介されないが、当然、この状況をくぐりぬけてきたはずだと想像するが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2013-04-02 06:15 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)