人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

大河ドラマ視聴「八重の桜」~第12話「蛤御門の戦い」

 ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第12話「蛤御門の戦い」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_12.html
 「蛤御門の戦い」
 1864年7月、長州が洛中へ向けて兵を進め禁門の変(蛤御門の戦い)の火ぶたが切られた。慶喜(小泉孝太郎)や容保(綾野剛)が率いる幕府軍は序盤、劣勢を強いられるが、覚馬(西島秀俊)や大蔵(玉山鉄二)らの活躍と西郷隆盛(吉川晃司)ら薩摩藩の援護もあり形勢を返し勝利を収める。しかし、覚馬は爆裂により眼部に深手を負い、焼け野原と化した都の惨状に心を痛める。会津では、戦況を案ずる八重(綾瀬はるか)が、開戦直前に覚馬から手紙で勧められた尚之助(長谷川博己)との縁談に心を悩ませていた。
 a0087378_6253735.jpg地域の散策とのかかわりで、八重家族が、戊辰戦争後に一時山形県米沢市に滞在していたことが、明かになったのは昨年である事については先に記した。報道によると、元会津図書館長の野口信一さんの調査で、明治4年の旧北会津郡役所「各府県出稼戸籍簿」に、山本家が2筆に分かれて記載されているのを見つけたことが、そのきっかけらしい。
 これは、昭和元年若松市役所を経て会津図書館に移管された資料だとか。
 その一家が、「山本権八妻、娵、孫娘、伯母」の4人分で、それぞれ辛未(明治4年)時点での年齢が記されるとか。娵(嫁)は覚馬の妻うら、孫娘は覚馬の娘みねのこと。 そして、もう一家が、「川崎尚之助妻 辛未二七」で、川崎尚之助妻=八重だ。この二家が「羽前国米沢県管内・城下・内藤新一郎方出稼」と記されていたとか。
 この時点では、上杉家と松平家は近しい関係という事等から、出稼ぎ先がこの内藤の可能性は高いという推定の段階だったようだが、今話とのかかわりで興味深いのは、既にこの時点で、八重の初夫川崎尚之助が会津藩士であったことを証明する文書は見つかっているようだということ。
 報道の後半に、川崎尚之助が会津藩士になっていたことが明らかになったのも、そのちょっと前の事らしいことが記される。その資料が、「御近習分限帳」という慶応年間に書かれた会津藩士の石高や役職を記したものらしい。
 結婚を機に会津藩士になれたということなのだろうと推定するらしい。このことは、戊辰戦争後の八重との離婚理由が、川崎尚之助が会津藩士でなかったからという通説が覆るということでもあるらしい。

 そういう見方でドラマをみれば、この結婚の理由が覚馬の勧めをスタートにしている。興味は、ここからどう心情的に展開するのかということと共に、覚馬の思惑や離婚理由をどう結びつけて構築するのかなということも。更には、ドラマでは、山本家に米沢藩士内藤新一郎氏は、登場するのかなということにも興味は引っ張られる。
 〇 戊辰戦争後「米沢」へ出稼ぎ? 新島八重。野口さん調査【福島民報(2011/11/26 )】
 〇 新島八重 米沢に足跡<空白の4年間>~戸籍に出稼ぎ記録~若松で新資料を発見【福島民友(2011/11/25)】
 なお、今話視聴率は、13.9%とのこと。
by shingen1948 | 2013-03-28 06:30 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)