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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里の狐達⑲~信夫の里の独国和尚⑤

 福島の散歩資料で気軽に「信夫の里の独国和尚」像をみることはできない。
 それで、ネットに流れる「女川町誌」の情報をもとにして、福島の資料でその確からしさを確認したところだ。その中で、「川寒金福寺跡地蔵堂」の独国和尚については、おおよそ福島の資料で確認できそうであり、確からしさの確率も高そうだなと思っている。

 ただ、微妙なところで見え方の違いも感じる。例えば、独国和尚と信夫山とのかかわりだが、「女川町誌」では、薬王寺とのかかわりとみえるらしい。これが、散歩人の勝手な想像では、廃絶した羽黒山寂光寺と見えている。
 「信夫の里の狐達」とのかかわりで、そう見たいという思いがあるのかもしれない。確認を通してイメージする信夫の里の独国和尚像は、山を修行の場とする修験者で、信仰のある山に深く関わることで行者名が伝えられた方なのではないかと勝手に想像するということもある。
 そのイメージを持って「福島市史」近世Ⅱを確認すれば、真淨院は元々霊山の遍照寺だが、慶長年間に上杉氏の重臣平林蔵人の持寺になったかかわりで、廃絶した羽黒山寂光寺の支配権を併せ持ち羽黒山真淨院とされた経緯が解説される。護摩執行も薬王寺と真淨院が各年交代だったという経緯らしいことの考慮だ。
 金福寺は真淨院末寺とされる。それなら羽黒山寂光寺の末寺金福寺が、羽黒山真淨院に委譲されたものと見たいという勝手さだ。

 本当は、地域の人々には寺格への拘りなどもあるだろうから、散策人は控えるべきことなのかもしれないとも思う。その板倉氏当時の寺格に関わりそうなのは、常光寺・満願寺・薬王寺・真淨院の4ヶ寺と稲荷神社を持って4寺1社制を定めていることだろうか。
 弟子の塩沢無涯の計らいと帰依者の希望で、独国和尚の遺骨は各所に分骨されるようなのだが、その分骨先や無涯氏にかかわる塩沢家の拘りでも、このことと無縁ではなさそうだとも思う。
 なお、この独国和尚の弟子塩沢無涯氏の塩沢家は、元々上杉氏の家臣で、上杉氏が福島に移った時に越後の塩沢から一緒に移られたとのこと。
by shingen1948 | 2013-03-19 05:43 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)