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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里の狐達⑱~信夫の里の独国和尚④

a0087378_9121727.jpg  これは、北沢又の地蔵堂の北側の石塔等の風景だ。
 最初に見た時には、付近の路傍の石仏等がここに集められたのだろうと思っていたのだが、どうもそういう事ではないらしい。
 「福島市史」近世Ⅱでは、「特に福島・石城・米沢(亀岡文殊)に普教(布教?)の遺跡がある。」とし、「北沢又の川寒金福寺跡地蔵堂」では「五台遍照独国大和尚」と大書した石塔をその遺跡とする。しかし、それだけではなく、この地域の古老の話としての情報によれば、ここには三十三観音もあるとのことだ。
 その情報によれば、三十三観音は、地蔵堂の右側(北側)に高さ1尺2・3寸の観音像が30余体並列してあるとのことだ。数えてみれば、確かに33のようではある。整然と並んでいるなとは思ったが、三十三観音との意識はなかった。

 塩駅無涯氏が福島駅中町の人で、独国和尚が金福寺住僧という情報と重ねれば、「差塩良々堂三十三観音」と同じように、「無涯氏が西国三十三観音を巡礼し、西国のご本尊と同じ形の石仏と十六羅漢を移して、西国三十三観音の堂下の土を携帯して定礎に収めた」ものなのかも知れないなとの想像が膨らむ。
 更に、この地蔵堂には、独国和尚の遺骨が埋葬されているという状況らしい。
 独国和尚の遺骨は、塩沢無涯の計らいと帰依者の希望で各所に埋葬されたようだが、ここもその一つになっているとのことらしい。観音信仰者にとっては、素敵な処なのだろうなと想像する。

 ただ、ここに建つ案内柱には、「後に、信仰の拠り処として建立されたのが延命地蔵堂」とある。それなら、この三十三観音と称されるのは、和尚の教えをもとに屯人が建てたものということになるのかな。それなら、これ等が建立されたのはその時点という可能性もなくはないのだが、単に路傍の石仏等をここに集めたということではなさそうだということではあるのは確からしい。
by shingen1948 | 2013-03-18 09:22 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)