地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里の狐達⑰~信夫の里の独国和尚③

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 独国和尚は、信夫の里を中心に活躍されたようだが、散歩資料の中で登場するのを目にした事はない。「福島市史」とか「信達一統志」とかといったお堅い書物の中の方である。
 ただ、ここ信夫の里を離れたところからの散歩情報からその名にお目にかかる事がある。例えば、県内では、いわき地方の散歩情報。
 出かけた事はないので、情報としてだが、「差塩良々堂三十三観音」という処の案内板には以下の解説があるとか。
 その昔、僧丹が開基、良々堂山願王堂を建立した。
 その後、寛政年間に宮城の僧独国によって開山された。文政のはじめに三十三観音建立を発心、弟子の無涯和尚をして西国三十三観音を巡礼させ西国のご本尊と同じ形の石仏と十六羅漢を移し、西国三十三観音の堂下の土を携帯して定礎に収めた。近郷近在の信仰心の助力によって同13年寅の中秋(およそ190年前)に完成、良々堂三十三観音と称す。而して、この地方の人々が遠い西国まで行かなくても、この地で西国三十三観音の巡礼ができ、いやが上にもその功徳を居民に示し、平常心を養うこと今に至っております。
 この良々堂山三十三観音の一周およそ三キロで、所要時間は二時間足らず。弘法大師と共に同行二人、西国三十三観音を忍ぶ巡礼が疲れを知らずに楽しむことが出来ます。
                          平成5年7月 山主
 「宮城の僧独国」と紹介されるのは、「福島市史」に「女川の人」とあることに重なり、その出身地を示していると思われる。
 ここには、もうお一人「弟子の無涯和尚」が登場する。「福島市史」では、「南沢又の光徳寺・中町の塩沢無涯・常光寺などに寄寓し」とあることと重なる。この中の、「中町の塩沢無涯」という方と重なり、この方が独国和尚の弟子という関係ということだ。
 別情報では、独国和尚は、文政13年(1830年)に 福島県川寒の塩沢家で入寂されたという情報がある。
 これらの情報を重ねれば、独国和尚の弟子塩沢無涯は、川寒にお住まいだったが、明治期には中町の方にお移りになったのかなと想像する。

 なされたお仕事の一部も想像される。
 この地に三十三観音建立を建立するため、西国三十三観音を巡礼して、西国のご本尊と同じ形の石仏と十六羅漢を移すことと、西国三十三観音の堂下の土を携帯して定礎に収めるということをなさったということのようだ。
 「福島市史」に、「曹洞禅を学び、後天台密教を修め、関西、奥羽など諸国を遍歴し」とあるその諸国を遍歴の様子が具体的にイメージされる。
by shingen1948 | 2013-03-17 07:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)