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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第10話「池田屋事件」

 ドラマでは、覚馬は既に上洛しているのだが、「八月の動乱」の時期は、建白書「守四門両戸之策」を作成している時期らしい。その主張は、師と慕う象山や海舟の考えを引き継いだものと言われるらしい。大砲奉行林権助は、この時も暖かく見守り、1864年2月に、覚馬を京都に呼びよせるらしい。

 京都での覚馬は、思いのままに活躍できるという状況だったようだ。
 洋学所を設けて、英学と蘭学を教えるようになるのだが、教えを乞う藩士の数は多くはなかったようだが、他藩のものは多く集まったらしい。覚馬にとっては、近代的な日本をつくりたいと願うその原点になったのではないかな。
 思い通りに事が運ぶのは、大砲奉行のひいきもあるだろうが、京都の緊迫感ある状況が、覚馬の訴えに説得力が増したということでもあったろうと思う。

 会津では、覚馬に代わって尚之助が会津の軍備をなんとかしようとするのだが、せっかくつくった銃も認められず、会津の頑固さに直面し、怒り心頭の尚之助が描かれる。 
 先に描かれたように、江戸でいろいろな事を学んで会津に戻った覚馬も同じじれったさを味わった。結果的には、1856年、江戸でいろいろな事を学んだ覚馬は、日新館の教授となり、蘭学所を開くことができた。教授は、覚馬・南摩綱紀の二人に、後に川崎尚之助と古川春英が加わった。
 その一方で、覚馬は西洋式銃導入の主力部隊編成を訴えるが、会津藩では鉄砲は下級足軽が持つ武器で、上級兵は刀や槍で戦うのが美徳とされ、長沼流兵法という古い軍隊制度採用から抜け出せなかった。それどころか、覚馬は、上司に無礼な口を聞いたという理由で禁足となってしまった。
 この時にも、林権助の助力で1年後には禁足が解かれただけでなく、西洋式銃導入も認められ、軍事取調役大砲頭取に抜擢されたが、その改革のスピードは遅かった。
 これと比べて、京都での覚馬は生き生きとしていただろう事は想像に難くない。これも会津に戻らない覚馬の伏線の一つなのだろうか。

 覚馬上洛の一月後には、2年前に許されていた象山が、将軍家茂の名で上洛を命じられて、馬でやってくる。
 そんな折、長州の志士が6月20日前後に町に火を放って、中川宮、容保を襲って殺害し、孝明天皇を拉致して長州に連れ去るという陰謀が明らかになる。その下準備に池田屋に集まった志士達を新選組が襲撃したというのが、今話ドラマの中心「池田屋事件」。
 象山にとっては、覚馬は京都守護職とのパイプ役となりうる存在であったと思われる。今話では、象山が、天皇の身を守り、京都から一時彦根城に遷幸してもらおうと、覚馬や公用方広沢富次郎らに提案し、同意を得るあたりが描かれた。
 この後、山階・中川の両宮の裁可の日を待つことになるようだ。ただ、自藩の松代藩を動かし、天皇警備の任にあたらせようとするが、この同意を得られないという状況の中、象山は暗殺される。

 エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第10話「池田屋事件」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_10.html
 
「池田屋事件」
 親友の時尾(貫地谷しほり)が照姫(稲森いずみ)の右筆として城に上がることになり、残された八重(綾瀬はるか)には縁談が持ち込まれるようになる。しかし、八重は尚之助(長谷川博己)と共に新式洋銃の開発に明け暮れ、2人の間には同志を超えた感情が芽生え始めていた。その頃、都では新選組の暴発により池田屋事件が勃発。京の周りに挙兵し報復に乗り出した長州に萎縮した慶喜(小泉孝太郎)は、容保(綾野剛)一人にその責任を負わせようとする。
 今回も34・4%を記録したWBCオランダ戦の影響を受けて、関東の視聴率は12.6%とこれまでの最低を更新したとか。
by shingen1948 | 2013-03-15 18:42 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)