信夫の里の狐達⑭~信夫狐
2013年 03月 13日

この話は、町場から見渡せる場所で展開する。石ヶ森の鴨左衛門狐、一盃森の長次郎狐も集合する場所が狐塚とか。この道筋を登って行けば、信夫山トンネルの入り口付近だが、ここは狐山。実際の話の展開が、黒沼。
この話の筋として鴨左衛門狐との関係性の中で展開する。
鴨左衛門狐が住む石ヶ森は、阿武隈川に近く常に魚を獲る生活をしていて、釣りは得意である事、それに対して、御山の御坊狐は、魚好きなのだが、山育ちだから魚取りを知らないという設定だ。それで、一目おく御山の御坊狐なのだが、鴨左衛門狐はこれに妙術を教えるという手法で騙す事ができるということだ。
これだけでも楽しい話だが、鴨左衛門狐の怪奇性が竹駒稲荷や修験の神秘性と結びついて魔性の雰囲気を醸し出すことが実感できれば、もつと深く楽しむことができる。
本当は、信夫狐で伝承したかった世界観は、この世界観なのではないかなとも思う。
信夫の里には、生活の中に神とか霊といった存在の仕業を実感する世界観があることであり、この信夫の里をふる里とする者には、「もののけ」とか「化け物」とかといった不思議な能力をもった動物の象徴としての狐を実感する感覚を持ってほしい、そう訴えているような気がする。
御山の御坊狐は、魚好きなのだが自分で獲れないので町場で魚屋を騙す話は、「信夫山散策路」の採録をお借りする。
昔あったど
御山にばかしかたのうまい狐があったど
三度宙返りして木の葉一枚を頭にあげるとりっぱな山伏になったど
御山羽黒山の御坊様そっくりになった、そんで、福島の魚屋さ、魚買いに出かけたど
「わしゃ御山の御坊だ、塩びき三匹もらうぞ」と言ったど
そしたら魚屋の親父、
「御坊様、魚けえんだ、在所のお祝だ」と言って、小判を出して魚を肩さかづいて、さっさと帰っていった
魚屋が、御坊様、魚食うのけと、たまげて小判を見ると、それは木の葉だった
「けえ、御山の狐にばかされた」とがっくりしたど
昔あったど
御山羽黒山の御坊様、魚屋さ魚買いに来たど
「わしゃ御山の御坊だ、名主の家さ、塩びき三匹届けてくれ」と小判出したど
魚屋の親父、まだ御山の狐め、ばけてきやがった。今度こそばかされねだと思って、
塩びき三匹渡すふりして、しんばり棒でぶんなぐったど
「こりゃ、魚屋なにすんだ」
「何すんだってことあっか、この狐っこめ、ばかされていられっか。はやく尻尾出せ」とただいた。
御山の御坊様は、ほら貝持って逃げながら、
「こりゃ、魚屋、わしじゃ、御山の羽黒山寂光寺の御坊だ」と大声で言ったど。
魚屋が木の葉だと思って見直すと、本物の小判だった。
御山さ帰った御坊様、さっそく御山の狐をよんで怒ったど
「おめえ、わしにばけて魚屋さ行ったな。木の葉で塩びき買ったべえ。おかげで、おらあ、魚屋の親父にしんばり棒で叩かれたぞ。今度悪さしっと、御山から追放しっぞ」と言われたど(以下略)