地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里の狐達⑭~長次郎狐③

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 長次郎狐の住みかである一盃森の山頂には、愛宕神社が建つ。山の東側の登り口に建つ案内板では、次のように説明される。
 愛宕神社
 一盃森の頂上に建つ旧森合村の村社で、火伏霊神である火具土神が祭られています。森合の丹波谷地に舘を構えた甚野丹波守重母によって文治年間(1185-89)に創建されたと伝わっています。
 慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦の直後に伊達政宗が上杉氏領だった伊達信夫郡を攻めた「松川の合戦」では、伊達方の茂庭綱元の軍勢が一盃森に陣を張った事が、伊達家の記録に記されています。

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 ここに三角点があって、その標高は113.7m。

 案内はされていないが、小学校と一盃森の間の道筋と稚児塚を直線で結ぶ道筋が、東山道だとするのを見かけることもある。旧道諸説の中の一つでしかないし、開発が進んで道筋らしきものを確認することはできないのだが、この道筋を地図上に直線として引くと、確かに飯坂古道の道筋とされる道筋と重なる。
 この道筋は、最初に「飯坂道の今昔」をもとに歩いたということがあって、自分としては飯坂古道なのだが、この道筋も、信夫山を西に回り込む東山道だとし、平野まで重なっているという見え方もあるようだ。この見え方だと、坊狐と出会った川寒の道筋も東山道の道筋に見えるのだと思う。古くからある道筋ということは確かなことではあるらしい。a0087378_6484489.jpg
 現況では、寺の墓地の中央からの参道に見える登り道もあるが、地図で確認すると、この墓地を少し登って西に進む道筋が旧道で、その旧道から登る道筋になっていたということらしい。この旧道は、小学校と一盃森の間の道筋につながっていたらしい。
by shingen1948 | 2013-03-12 06:51 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)