地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里の狐達⑩~再び御山の御坊狐③

 先に整理した「金福寺」は、主として清水小学校(旧沢又小学校)発祥の地として整理した。これを、御山の御坊狐とかかわった見え方をすれば、明治初期焼失後の金福寺の移された先が、真淨院ということにウエイトをかけた見え方がいいのかも。騒動があったらしいが、信夫山寂光院の御本尊が移された先もこの真淨院だったと思う。
a0087378_9593558.jpg 更には、まだ確認はしていないのだが、「信達一統志(志田正徳著)」に「独国和尚という和尚があった。この僧は米沢分殊薩摩に祈祷を込め仏教の真密を覚った近代の名僧である」と記される方も、「金福寺」とかかわるらしい。
 情報によれば、この方は、文政13年(1830)川寒の塩沢家で入寂とのことだ。この塩沢家は上杉氏の家臣で、上杉氏が福島に移った時越後の塩沢から移ったとのこと。
 この塩沢氏は、現在は旧市内に移られているらしいが、情報として以下の言い伝えをみる。
 享和2年(1802)のある日、みすぼらしい黒染の衣を着た雲水が、顔色青黒くやせこけて、今にも行倒れになりそうな姿で河原に日向ボッコをして居た。若者達がそれを見つけ事の起こらないうちに、早く他所に追い払った方がよいと評議していた。
 それを聞いた中年の男が、「よしよしわしに任せておけ、よきにするから無理はするな」と自らその場に行って見た。
 「坊さんどうしてそんな所に居るんだ。ここは人気の荒い所で、若者達が坊さんに対して何か取り沙汰していたが、何もないうちに隣村にでもいかっしゃい」と言った。
 ると、坊さんはいやいや私は何も悪いことをする坊主ではありません。今朝まで御山(信夫山)に断食参籠してきたので、今疲労を休めていたところです。決してご迷惑はかけないから、どうぞこのまま捨て置いて下さい」と言った。
 それで、男は「それはそれはすまない事を申し上げました。左様なわけなら私の家の離れ座敷が空いているからそこに、お出なさいと無理やり連れて来た。」
 この男が川寒の塩沢家の先祖利作で、この坊さんが独国上人だとか。独国上人は、これ以降、常に塩沢家を中心として各地に旅をされ、利作の長子与右ェ門はお出掛けには必ずお供したとか。文政13年5月21日に入寂されたが、それまでの間、この地方の人々は深く帰依して、教を受けたということだ。

 こういう雰囲気の川寒は、御山の御坊狐の化け方を紹介する場にふさわしいなと思う。
 なお、情報では、地蔵堂左後方に塩釜石より少し堅いだけで割合風化しやすい石、総高さ五尺に近い五台遍照独国和尚と書いた碑が建つとのことだが、これも確認できていない。
by shingen1948 | 2013-03-04 10:07 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)