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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第7話「将軍の首」②

 大河放映の波及効果として、新たな事が分かるという情報に接するということも、大河視聴の楽しみの一つ。昨日はその一つの例として、砲術を川崎尚之助から学ぶために米沢藩から内藤新一郎と小森沢長政が、山本家に寄宿していたという情報を整理した。
 そんな中、2月19日には、「八重が岡山に来ていた」という情報が流れた。八重が、明治42年に岡山市の山陽高等女学校を訪れて、講演していた記録が当時の学校誌に残されていたということらしい。その中に、「八重の講演の記録をもとに八重が自ら鉄砲の撃ち方を教えていた少年もいた白虎隊が戊辰戦争で敗れて自害した悲劇が教えられ、戦争の悲惨さや命の大切さが強調されました」とある。別情報では、3人の白虎隊士とも。

 ドラマとのかかわりでいえば、これから八重は川崎尚之助と結婚し、それを機に砲術を禁止されるが、鳥羽伏見の戦い等の戦局から1968年6月頃から戦争に備えて砲術の訓練を再開するらしい。
 この頃に、遊びに来た白虎隊にも砲術を教えていたらしいという情報がある。これと結びつくようだ。

 白虎隊はフランス式の訓練受けているので、一通りの事は出来ているが、その洋式銃を受け入れる意識が高く、積極的だったらしい。上級藩士の隊は、「鉄砲は下級武士の武器」「武士が腹ばいになれるか」と激怒するが、白虎隊員にはその抵抗感が全くなかったという背景らしい。
 ドラマには登場しないようだが、八重の家の東隣には白虎隊士伊東悌次郎が住んでいて、年齢が一歳足りずに悔しがって八重に砲術を習いに来ていたらしい。
 「会津の華は凛として 【民友新聞連載】」によると、『会津戊辰戦争』に「私はゲベール(ゲーベルともいう)銃を貸して、機(はた)を織りながら教えた」「最初の5、6回は(悌次郎)引鉄(ひきがね)を引く毎(ごと)に、雷管の音で眼(め)を閉じるため、その都度、臆病、臆病と私に叱られた」とあるらしい。
 http://www.minyu-net.com/serial/yae/120429/rintosite.html
 結局、伊東悌次郎は、3度目で発砲しても目を閉じなくなったとか。
 伊東悌次郎が一通りの事が出来るようになると、八重は射撃の動作を速くするため、悌次郎の前髪を切ってやった。すると、悌次郎の母に「特に厳格なる伊東家に無断で断髪したのは、乱暴極まる」とこっぴどく叱られて、家風の違いを身にしみて痛感する。
 その後、伊東悌次郎は年齢を偽って白虎隊(士中二番隊)に入り、「戸の口原の戦い」で戦死する。八重は、白虎隊に入り戦死した悌次郎を「誠に可愛そうでなりません」と、幼い時代からの思い出と重ね合わせて、悲しんでいるとか。
 もう二人の白虎隊士は誰かな。
 八重が岡山に来ていた!【NHK福島(2013/2/19)】
 NHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重が明治の終わりに岡山市の女学校で講演を行ったとされる資料がドラマの放送で注目され、19日、その女学校を前身とする高校で八重に関する特別授業が行われました。新島八重は幕末の会津藩に生まれ、戊辰戦争ではみずから銃をとって戦って「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれ、同志社大学を設立した新島襄の妻としても知られています。
 八重は明治42年に岡山市の山陽高等女学校を訪れて、講演していた記録が当時の学校誌に残されていてドラマの放送をきっかけに改めて注目されています。
 19日は女学校を前身とする岡山市中区門田屋敷の山陽女子高校で八重に関する特別授業が行われ、1年生の生徒と併設する中学校の1年生あわせて30人あまりが出席しました。
 授業では八重の講演の記録をもとに八重が自ら鉄砲の撃ち方を教えていた少年もいた白虎隊が戊辰戦争で敗れて自害した悲劇が教えられ、戦争の悲惨さや命の大切さが強調されました。
 高校1年生の生徒は「八重さんがこの高校に来ていたことを誇りに思います。きょう知ったことをもっと勉強したいです」と話していました。
 授業を担当した野村泰介教諭は「テレビドラマを見てきょう学んだ白虎隊のことを思い返して欲しい」と話していました。

by shingen1948 | 2013-02-21 07:05 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)