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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第5話「松陰の遺言」③

 地域の散歩とのかかわりで、松陰が会津から越後に向かう途中立ち寄った会津坂下の清水八幡神社に参拝するあたりも確認しておきたい。
 情報では、吉田松陰は『東北遊日記』の中で「若松を発し、高久、坂下を経て塔寺に至る。行程三里廿四丁、皆平坦の地なり」と記すらしい。この時が、嘉永5年(1852)2月6日。ここを訪れたのは、日新館教授高津淄川の紹介らしい。この社の神官が高津の甥戸内兵庫で、ここに立ち寄って貴重な宝物とされている『塔寺八幡宮長帳(松蔭がいう『芦名日記』)』を見せてもらっているとか。

 慶応4年に河内屋吉衛門が出版した【東北遊日記2巻(吉田松陰他)】と情報との照らし合わせの続きだが、ほぼそのように読み取れる。
 ただ、「貴重な宝物とされている『塔寺八幡宮長帳(松蔭がいう『芦名日記』)』を見せてもらっている」とする部分は、【東北遊日記2巻(吉田松陰他)】では、「曰く八幡公冑鎧、曰く横笛、曰く芦名日記、曰く古鼎(かなえ)、曰く、至徳年時弓箭」等々。
 神社が宝物とされるものを見せて、吉田松陰がいいものを見せてもらったとしている感じがする。松陰に見せた中で「塔寺八幡宮長帳(松蔭がいう『芦名日記』)」に感心したことを強調したいのは、神社側の思いかな。

 ここ塔寺を発つのが7日、その日は歩き通して焼山で一泊する。ここから更に雪の山道を歩いて、津川にたどり着くのは8日のようだ。この後も雪道を苦労しながら進むようだ。
 この後、松陰は佐渡に渡り、鶴岡、本庄、秋田をめぐって弘前に至り、竜飛岬まで足を延ばすらしい。そこから、青森に戻り、盛岡、仙台、米沢を通り、再び会津若松を訪れ一泊した後、日光、足利を経由して江戸にもどるらしい。これらの照らし合わせは又の機会にする。

 確認はしていないが、吉田松陰は、会津藩は文武の士が多く会津行きは有意義だったと萩への手紙に書いているらしい情報も。
 なお、【東北遊日記2巻(吉田松陰他)】の他は、情報と照らし合わせれば、同行者の宮部鼎蔵(みやべていぞう)と江帾(えばた)五郎という事かな。

以下の事について、2月9日付け加える。
 先に、吉田松陰の会津城内の行動を整理した時に、会津観光案内では、松陰等宿泊先は清水屋だとする根拠は分からないとした。
 【東北遊日記2巻(吉田松陰他)】で帰路を確認すると、3月28日会津に立ち寄り、同じような方々と再会するのだが、その旅立ちに「発7日町」とある。そこから、湯川橋をわたり、本郷を経由して大内宿に入る。4月朔日には、宇都宮藩高原経由鬼怒川ということだ。これは、会津の方には馴染みの日光街道だ。この道筋で江戸に戻るようだ。
 それなら、例え想像だとしても、少なくとも松陰等の帰路宿泊先が清水屋推定は自然かな。
by shingen1948 | 2013-02-08 05:57 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)