地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里の狐達⑥~加茂左衛門狐②

 「しのぶぎつね」は言い伝えられる民話で、物語の世界。だが、この話を聞いていた方々は、現実の世界との境界線はなかったのではないかなと思えてくる。現代風に言えば、ノンフィクションの世界として捉えていたのではないかなと思うのだ。
 「加茂左エ門稲荷之記」は伝承であり、そこに登場する事柄は歴史的に合致する必要はないはずなのだが、これが結構しっかりと辻褄が合っている。
 例えば「竹駒神社」の話。
 「竹駒神社」の社伝では、承和9年(842年)小野篁が陸奥国司として赴任した際、伏見稲荷を勧請して創建したと伝えるとか。その後、衰退するが、伊達氏の崇敬を受け発展し、正一位の神階を受けるらしい。これが、文化4年(1807年)とのことだ。
 加茂左衛門が竹駒神社に仕えていたのは、この頃なのかなと思いながら、「加茂左エ門稲荷之記」を読めば、現実味が増す。
a0087378_649334.jpg また、岡極楽院という法印が、加茂左衛門の霊感を岩に封じ込めるのだが、古くは山・巨石・岩陰・石窟・巨樹を崇拝する信仰に伴う祭祀法だ。その封じ込められた石ケ森稲荷が祀るのは、加茂左エ門稲荷大明神とのこと。この事を確認すれば、日本では、神は仏の信者を守護するという形で落ちつく神仏習合が普通の感覚とか。これらが明神や権現と呼ばれて信仰の対象になっているという。
a0087378_6504941.jpg そのことで「竹駒神社」に戻れば、後冷泉天皇の治世(1045~1068)に陸奥国を歴遊中の能因が、神社隣接地に庵を結んで竹駒寺となって、別当寺になったとか。
 その視点で周りを見渡せば、この加茂左エ門稲荷大明神の隣接地に「石ケ森神社」。その雰囲気的な関係性にも類似性を感じる。そこに祀られる神も、石ケ森神社の主祭神は保食神との事だが、「竹駒神社」は倉稲魂神(稲荷神)を主祭神とし、相殿に保食神・稚産霊神を祀るとか。こちらも「竹駒神社」とつながるようになっている。

 今では、感性的な部分を思いやるのにも予備知識として仕入れなければならないのだが、当時は、感覚的に受け入れていたものだと思う。
 「ふくしま散歩」では、霊験あらたかだとして、現実に起きたこととこの加茂左エ門稲荷大明神とを関係付けて解説する。これも、この話を聞いていた方々は、現実の世界との境界線はなかったことを伝えたかったのではないかなと思うが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2013-02-04 06:51 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)