地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里の狐達⑤~加茂左衛門狐

 「加茂左エ門稲荷之記」が掲げられ、「石ケ森稲荷」について解説される。
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 それによると、昔、京都伏見の霊感を受けて神通力を身につけた加茂左衛門という男が、封じ込められたという事らしい。
 この加茂左衛門は鎌田村出身の竹駒稲荷に奉仕する男だとか。京都伏見の霊感を受けて神通力を身につけるのは、竹駒稲荷の神位昇叙の際に手を出して、自らの手に正一位の印が押されたとのこと。それで、竹駒稲荷の宮司は加茂左衛門に永久に社に仕える事を要求されるのだが、両親に会いたくなって帰宅する。
 ここからが、封じ込められることになる事情。
 帰宅した加茂左衛門は、永年の修法神に入っていたこともあって、怪奇な事が起こるので、父母はこれを怪しいと責めることになる。加茂左エ門は百万回言い訳するが信用されずに、信夫山の権坊に助けを求める。
しばらく信夫山で過ごした加茂左衛門は、再び村に戻るのだが、数々の奇瑞霊感を現して里人を畏怖せしめるので、里人に石森の岩屋内に封じ込めらる。
 その後、里人は、祠をたてて加茂左エ門稲荷大明神と尊崇することになったとか。

 この「加茂左エ門稲荷之記」の加茂左衛門に狐のイメージが重なる。
 帰宅して「怪奇な事が起こる」部分が、「いつの間にか口裂け眼光りの狐になってしまっていて、自宅から追い出される。」ことになる。また、助けを求めた「信夫山の権坊」が、権坊狐であり、再び村に戻った加茂左衛門が石ヶ森の岩窟に閉じ込めるのに、法印が祈祷するということになる。
 この法印だが、日本の民話13(未来社)【福島の民話(片平幸三)】第一集では、加茂左衛門狐は、長岡の修行者とするが、「ふくしま散歩」では、岡極楽院という法印とする。
 先に「修験極楽院三島屋敷~伊達家極楽院旧跡」の修行者と重ねてみたのは、雰囲気として違ってはいなかったということかな。
 http://kazenoshin.exblog.jp/8752572/
 加茂左エ門稲荷之記
 当社は、神号を加茂左エ門稲荷大明神という。古来より信夫三稲荷の一して聞こえ数々の奇瑞あり、五穀豊穣商売繁盛家内安全安産などに霊験あらたである。
 加茂左エ門稲荷について伝い説う。
 加茂左エ門は鎌田村の生まれ、幼より神童の誉れ高く長ずるに及びその才能いよいよ輝いた。
 後、奥州竹駒社に仕えて忠実、同社の信頼をうけた。或年、竹駒社が位階昇叙の沙汰を拝したとき、同社祠官らと共にはるばる京に上った司家に伺候、威儀を正して宣旨を拝受しようとした時、奇跡、同社の印○は加茂左エ門の掌中に押捺された。
 祠官一行は無事帰社後、加茂左エ門に厳かに言い渡した。竹駒社の正一位の印はそなたの掌中にある故、永世当社に奉仕せよと。
 加茂左エ門はこれを聞き、にわかに望郷の念湧き、急ぎ鎌田村に帰り父母に見えたが、永年の修法神に入りしや、いと怪奇のこと起こりたる故、父母は之を怪しと責めた。
 加茂左エ門は百万陳弁につとめたが、父母や郷人これを容さず妖怪変化と之を追うた。加茂左エ門は止むなく走って御山の権坊を頼りしばし御山にあって修法したが、その後再び帰村、数々の奇瑞霊感を現し里人を畏怖せしめた為、里人に謀って石森の岩屋内に封、祠をたてて加茂左エ門稲荷大明神と尊崇した。加茂左エ門稲荷は、その後里人の吉凶にその霊感を現し、招福除難の功徳を現した。
(以下略すが、その霊験著しい事を記す)

by shingen1948 | 2013-02-03 06:15 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)