地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里の狐達

 福島盆地の散歩で、気になる高まりは、信夫山、一杯森、石ヶ森だが、この気になるのは普遍的らしい。次のような伝説の形で言い伝えらる。
 昔、福島盆地が湖水であった頃、鬼がタンガラ(背負籠)を背負って吾妻山から土を運び、湖水を埋めようとした。しかし作業の途中で夜明けが来たので鬼は姿を隠した。そしてできあがったのが信夫山であり、ダンガラについた土を落としたのが一杯森(福島市森合)であるという。(磐城岩代の伝説)
 ここでは、鬼が、湖水を埋める目的で吾妻山から土を運ぶ。石ヶ森は語られない。「鎌田村誌」では、「鬼」の部分が、「大徳坊という巨人」となり、目的が消えて、石ヶ森が加わるようだ。
 昔、大徳坊という巨人がいて、タンガラ(背負籠)で土を運んできて平地にあけた。それが今の信夫山である。タンガラの底に少し残っていた土を捨てたのが今の一杯森(福島市森合)であり、草鞋の裏についた土を払ってできたのが石ヶ森(福島市鎌田)であるという。
 「信夫山散策MAP 史跡探訪編」では、「信夫山」が「羽黒山、熊野山、羽山」の三山に分けて土を置いたことになり、石ヶ森は、飯の間に小石が混ざっていたので、箸ではさんで投げてできたことになる。大徳坊はどこかからやってきた大男とする。
 大徳坊がつくった信夫山
 昔々、どこからか大徳坊という大男がやってきて、たんばら(背負い籠)に三背ほど山土を入れて背負ってきた、ぽつんぽつん土をあけたところが羽黒山、熊野山、羽山になった。たんがらの底に残っ土くれを、ぽんと空けたのが一杯森である。ひる飯にしようと飯曲輪(わっぱめし)を開けてみると、飯の間に小石が混ざっていたので、箸ではさんで投げたのが石が森だという。
 内容は微妙には違うが、大徳坊さんが信夫山、一杯森、石ヶ森をつくる。伝説では、ここに信夫の三狐を住まわせる。
by shingen1948 | 2013-01-28 07:29 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)