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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び会津の立ち寄りと忘れもの~高寺伝承の2

 新潟の城の山古墳で発掘された銅鏡が中国製の可能性が高い「盤龍鏡」と確認されたとの、【毎日新聞(1月15日)】報道を目にした。
 銅鏡は直径約10センチで、竜の姿が彫られていて、中国の後漢(1世紀後半~2世紀前半)または魏晋(ぎしん)(3世紀中ごろ)時代の可能性があるとか。
 報道では、被葬者は当時の大和政権から重要視されていた人物だったと思われるとしている。大和政権から配布されたことを前提にしているのが分かる。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130115-00000100-mai-cul
 地元紙【新潟日報】を確認すると、「この地域に中国から直接運ばれたものではなく」と断わりを入れて大和政権との関係性を考る上で重要としている。
 http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20130115021644.html#
 当方の勝手ながら、高寺伝承から夢を膨らませている方は、この情報をどう聞いたのかなということが気になった。特に、中国の後漢(1世紀後半~2世紀前半)または魏晋(3世紀中ごろ)の時代の中国製「盤龍鏡」ということと、地元紙が、わざわざ「この地域に中国から直接運ばれたものではなく」という断わりを入れている事こととのかかわかな。

 勝手な興味ではあるが、「青巖と高寺伝承」の伝承伝来にかかわる部分を確認しておきたくなった。
 高寺伝承は、中国南朝の梁国の僧青巖一行が、欽明天皇元年(540)に来会、布教に入り以降繁栄し、宝亀6年(775)に兵火により罹り廃絶したと伝える伝承である。
 その仏教伝承者青巖については、次のように紹介される。
 青巖の出身地は中国南朝の梁国であるが、武帝が502年に梁を建国し国王として即位、仏教を振興し儒教を再興しているほか、我が国や朝鮮半島などの漢字圏に多大な影響を与えたといわれる「文選」「千字文」儒教の「考経」「論語」などを編纂し徳性に勤めているが、青巖はこの影響下に育ち、梁国が最も成熟した時期である540年に会津入りを果たしているのである。
 青巖はこれらの書典類を携えてきて宇内・青津古墳群の支配地の領民に仏教を通して訓育を施したものと思われる。また、この先進文化があってこそ豪族の帰依を受けて仏教王国化を果たし、235年間に及ぶ繁栄を見る事が出来たのではないか。
 この伝承が成立するには、二つの前提が必要だと思う。
 その一つが、我が国にも仏教伝承の公伝以前に、渡来人によって氏族仏教が伝来していたのではないかということ。そしてもう一つが、青巖一行は直接新潟付近に上陸したのではないかということ。
 「この地域に中国から直接運ばれたものではなく」との地元紙の確認は、逆に見れば、自然な地元感覚の中には、中国から直接運ばれることも含まれるという事でもあるとの読みは、深読み過ぎなのかな。
by shingen1948 | 2013-01-23 05:58 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)