地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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気を感じて伏し拝む⑩~木旗山⑤

 よく分からない部分のメモの続き。
 「東和町の文化財」の木旗山の弁才天信仰にかかわる紹介を確認する。
 まず、寺側からみた紹介を確認する。
 〇 県の「重要文化財木造阿弥陀如来座像」解説から
 この像(木造阿弥陀如来座像)は、木旗山弁財天宮の別当学頭治陸寺の本尊である。
 当寺には、本尊の他に木旗山にあった千手観音など諸仏が安置されている。中でも永禄3年(1560)及び文禄3年の彩色銘がある隠津島神社の本地仏弁財天(高さ1尺1寸5分(34.8㎝))の座像は注目すべきである。
 〇 その本地仏弁財天が、町の第42号有形文化財(彫刻)木造彩色弁才天座像として紹介される。(「さい」の字が違うが、同一だと勝手な思いかも)その解説からa0087378_94717.jpg
 治陸寺縁起などの古文書や記録によると、弁天宮は大同元年(806)から同4年(809)の間に建立されたとされ、治陸寺は平城天皇の直願に勅願によって弁財天を主導として祀った寺院であると伝えられている。
 なお、この木造彩色弁才天座像自体は、室町時代と推定されるとしている。
 弁才天の像底に「永禄3庚申(1560)2月19日」と「文禄3甲午(1594)11月1日」の彩色銘文が記されている事と、「木旗山相改帳」に「天正13年(1585)の伊達政宗の兵火により全山炎上した時に、弁才天像が運び出されたて焼失せず、現存する事が記されること」を元にして、室町時代まで推定を遡らせいているらしい。
 なお、この木造彩色弁才天座像が、現隠津島神社の弁天宮秘仏(天明初年(1781))の御前立とされるとのこと。

 実際に散策すると、隠津島神社のイメージが強いのだが、神社側からみた紹介は「山上鎮祭の弁財天は、隠津島神社になっている」といことだけ。ただ、木旗山に所在する全ての所有者として紹介されている。

 次に、その弁才天信仰を確認すると、一般論として以下のように解説される。
 日本での弁才天信仰は既に奈良時代に始まっており、東大寺法華堂(三月堂)安置の8臂の立像(塑像)は、破損甚大だが日本最古の尊像として貴重。その後、平安時代には弁才天の作例はほとんど知られず、鎌倉時代の作例もごく少数である。
 近世以降の弁才天信仰は、仏教、神道、民間信仰が混交して、複雑な様相を示す。
 散歩を楽しむ者にとっては、木旗山の弁才天宮が天慶5年(881)天台別院(地方本山)として安積弘隆寺が建立される以前の大同元年(806)から同4年(809)の間に建立されたとすることには違和感は感じない。
 ただ、弁才天信仰が、元来インドの河神であることから、日本でも、水辺、島、池、泉など水に深い関係のある場所に祀られることが多いとされることとのかかわり具合は?かな。
by shingen1948 | 2013-01-17 09:05 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)