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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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気を感じて伏し拝む⑧~木旗山③

 「東和町の文化財」から、「木旗山経塚群」にかかわる記載部分のみを拾う。
a0087378_5383798.jpg 木旗山経塚群
 (木旗山の)山頂尾根には東西一直線に経塚6基並び西端に花崗岩の立石がある。経塚は小型の積み石式で、円形、方形、長方形をしており、高さは1m前後である。
 昭和53年7月の発掘調査時には、既に盗難にあって破壊され、また経文埋納容器、件出物の完全なものは失われていたが、石製外筒片、和鏡片、刀子、古銭、灰釉陶片、須恵器、土師器など多数出土した。出土品から12世紀の経塚であると考えられる。
 また、蔵王信仰の立石祭祀遺跡を伴うまれにみる宗教遺跡である。
 「昭和53年7月の発掘調査時には、既に盗難にあって破壊され、また経文埋納容器、件出物の完全なものは失われていた」とのことだが、確認する中で、福島県立博物館では「二本松市木幡山経塚群出土の遺物」ポイント展として、石製外筒と銅製の経筒が展示されているのを知る。
 http://www.general-museum.fks.ed.jp/01_exhibit/point/2012/121219_kohatayama/121219_kohatayama.html
 今回のポイント展では、二本松市(旧東和町)にある県指定の史跡木幡山経塚群から出土した資料を紹介します。経塚とは、釈迦の死後、仏教の教えが全く及ばなくなる末法の世が来るという考え(末法思想)が広まった平安時代後期、経典を土中に埋納し、将来のために残しておこうという目的で築かれたものです。
 木幡山経塚群では6基の経塚が確認されていますが、今回紹介するのは、そのなかの一つに納められていた銅製の経筒と石製の外筒です。これらは奈良国立博物館の所蔵品ですが、今回文化庁の「考古資料相互活用促進事業」の一環として展示が実現しました。
 奈良から里帰りした2点の資料。この機会にぜひご覧ください。
 奈良国立博物館所蔵とのことだが、昭和26年に盗掘されたものらしきことや、経筒と外筒共には、銘文は認めらないことなどが確認できる等の情報も。真偽は分からない。
 この鋳銅製経筒には8個の経巻の残塊があって、それが法華経と思しき事の情報もあり、また、経塚群中、3号経塚が群中最古の経塚と推定されるとのこと。この3号経塚は円形で、平板状の石で組立てた箱形石槨を地下に設け、石槨外周に木炭を詰めて積石で蓋をした上に封土を盛ったものらしいとかとも。
 【教育福島<0047号>(1979年(S54)12月)】では、以下のような解説。
a0087378_544775.jpg 木幡山は神仏習合の山として古くから栄えた信仰の山で、全山老杉におおわれた円錘形の山頂に蔵王宮(現石宮)があって、山頂の屋根には東西線状に経塚六基がならび、西端に花岡片磨岩の立石がある。経塚は経2~4メートル、比較的小型の積石式で、円形、方形、長方形を呈し、高さは1メートル前後で中央に石室があり、盗難にあって破壊されたものがある。四基は蓋石を失っているが原形を保ち、構造には各様がある。当経塚群から出土したと伝える奈良国立博物館保管の銅製経筒及び今回の出土品によると、藤原時代12世紀の秀れた経塚であることは明らかである。

 確認した事を整理すると、次のような感じかな。
 この経塚からいえる事は、1100年代にはすでに秀れた経塚をつくる寺が存在していたということであり、その寺の創建はそれ以前ということかな。調査される方々には、木旗山には天慶5年(881)天台別院(地方本山)として安積弘隆寺が建立されるという事が頭にあって、この想定と結びつけてイメージされるという事なのだろうと思う。
 「蔵王信仰の立石祭祀遺跡を伴うまれにみる宗教遺跡」・「山頂に蔵王宮(現石宮)があって」ということからは、その寺は「山岳修験との関連が想定される修験寺」のようなことをイメージしているということなのかな。「青巖と高寺伝承」では、これが会津仏教の会津と信夫の間の楔だとする。
by shingen1948 | 2013-01-14 05:47 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)