地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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気を感じて伏し拝む⑤

 この地の高寺伝承についてこだわれば、「ゆの村」で「高寺堂が滅びてしまう時、寺の宝物としていた黄金千杯と朱千杯を朝日、夕日のさすところに埋めた」という伝承を紹介することかな。

 案内板にある以下の解説で、現在の不動寺にかかわるこの地、即ち、西根神社が建つ地でもあるこの辺りの宗教的な匂いと地域の人々の日常のかかわりを想像する。
 「新狐山」と号するのは、この地を「アラ狐の林」と言い、当寺の鎮守荒狐大明神を祀るからで、現在の本堂は1686年の建立、重厚にして華麗。山門は昔の中門である。 
 境内には「峰の薬師」と呼ばれる古仏を安置する薬師堂や居座り地蔵、観音塀に囲まれた中の「正和の碑」や旧三州刈谷藩陣屋一族の墓、老紅梅などが往時の歴史と由緒を物語っている。
 勝手な想像だが、「当寺の鎮守荒狐大明神を祀る」って、隣の稲荷神社かな?
a0087378_735539.jpg 仏教と稲荷のかかわりの一般論を確認すれば、次のような事だとか。
 曹洞宗のお寺の場合は、ダキニ天という人を食う夜叉(やしゃ)や羅殺(らせつ)の一種で、中世には霊狐(れいこ)と同一の存在とみなされて信仰されてきたとか。
 真言宗のお寺の場合は、空海が朝廷から京都・東寺を賜ったときに、稲を担いだ翁(おきな)に出会って、それが稲荷大神だった。それが真言宗東寺の鎮護神となったとか。
 日蓮宗のお寺の場合は、最上稲荷と神仏習合するとか。
 不動寺の宗派を確かめると真言宗らしいので、2番目の逸話にかかわってイメージすればいいのかな。ただ、これは鎌倉中期以降、熊野にあった穀物神(三狐神)の信仰が伏見の稲荷神に習合させられたものらしいとも。
 なお、「峰の薬師」と呼ばれる古仏を安置する薬師堂の旧地は、「再び「西原廃寺」⑥~薬師堂で整理している。菩提寺の薬師堂との想像をしていることと、これも、西根神社がが背負う北の山々の位置。
http://kazenoshin.exblog.jp/10189685/
 <菩提寺=西原廃寺>の話に戻れば、鈴木氏が、陸奥の三山として由緒ある寺として紹介するのは、大蔵寺・菩提寺・仁部(仁生)寺だ。そのうちの、大蔵寺が渡利の大蔵寺、菩提寺が西原廃寺、仁部(仁生)寺が霊山寺。霊山寺を中心に会津を拠点とする徳一の「法相教団」に対抗するため、天台の教団が対峙していたということだった。
 「青巖と高寺伝承」では、このうちの大蔵寺の諸仏が、勝常寺系の仏像に類似する事を挙げ、会津仏教とのかかわりを類推する。そういう意味では、大蔵寺周辺の散策ともかかわるが、恥ずかしながら仏像の見方がよく分かっていない。
 それよりも興味深かったのが、「天台宗は、天慶5年(881)天台別院として、安積弘隆寺を建立して、会津と信夫の間の楔とした」との紹介。この安積弘隆寺を確認していくと、その候補地として二本松市旧東和町の木旗山が想定されていることだ。
by shingen1948 | 2013-01-10 07:39 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)