気を感じて伏し拝む③
2013年 01月 08日
しかし、西根神社が北の山々を背負っていることを意識するのは、その前の時代だ。信夫郡菩提寺が創建される以前に、この地がどうだったのかなということとのかかわりだ。
高寺伝承がここでも史実として存在したかどうかにかかわらないことで、それよりも、ここにはすでに宗教的な匂いが存在していたことを思わせる。
少なくとも、西根神社が背負う北の山々に、古くから日本人の基層となる信仰はあったのだろうと想像する。
その場合が、先に整理した精霊崇拝・アニミズムという自然崇拝とのかかわりの存在だ。再掲すれば、「自然の山や岩、木、海などに神が宿っていて、尋常ならざる特別な力の源は太陽、山河、森林、海等から石のようなものにつくとされるとか。その尋常ならざる特別な力の源を神力と呼べば、その神力がつきやすい石を磐座として祀り、ここに神を降臨させ、その「依り代」と神力を祭りの中心とした」とか。
若いころ2~3度しか登った事がないが「御在所」の名称の山、掘っても最後まで掘り切れなかったとする雷神の板碑の言い伝え等も含めて、散策を通して感じた雰囲気などともかかわる。
史実とのつながりで、高寺堂跡に建つ案内柱が意識するのは、寺伝の「観応4年(1353)2月、南北朝の戦禍にあいこの寺は灰塵に帰した」とされるあたりのようだ。素人の見方で何の根拠もないが、これは菩提寺の滅びとかかわらせてもよさそうだと勝手な解釈。
高寺伝承にかかわる宗教的な雰囲気の滅びの年号で勝手に気にしているのは802年頃の滅び。