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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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旧道諸説~現地説明会の行き帰りに

 出かけた時には、できるだけ近くを散歩したり、よそ見をしたりするようにしているのだが、今回は説明会参加の行き帰りに、東山道を意識してみるということにした。
 この辺の東山道については諸説あったようだが、森山地区の阿津賀志山防塁を越える地点に東山道の痕跡が見つかったということがあった。それを考慮すれば、旧道諸説の中からこの地点を通るとする道筋に限定してもよいのかな。
 歴史地理の専門とされる方の説は、細かい部分ではいろいろなずれがあるものの、おおよそ奥州街道に沿い、宿場で道筋が卍になっているところを直線で結ぶような道筋のイメージに集約できそうな気がする。
 一番概括的な説は、森山地区の大木戸と長坂、そして、ほぼ諸説がそこを通るとする貝田地区の直線路を結んだ直線の延長線上というのだが、結果的には、これもほぼ同じような道筋になるような気がする。
 
 例えば、藤田宿付近の道筋では、藤田の鹿島神社付近まではほぼ奥州街道に近い道筋をたどり、街道筋としては藤田宿に入るために卍に道筋をとって進むのだが、そこを直線で藤田宿を越えて、南側の奥州街の道筋に結ぶというような感じ。このことについては、「大木戸付近通過を想定する東山道の道筋~旧道諸説⑤」で、その事にふれたが、これは地図上のこと。
 http://kazenoshin.exblog.jp/16480038/
 今回その道筋を頭に置いて現地説明会に向かい、帰りには、その近所と目標物の確認等をしながら戻ったのだが、頼朝方の本陣は藤田舘に置いたのではないかとの想像は、実感として説得力があるなと思えてきたというのがメインだ。
 その「藤田城」については、「藤田城」、「藤田城へ②」として整理している。
 〇 「藤田城」http://kazenoshin.exblog.jp/7247462/
 〇 藤田城へ②  http://kazenoshin.exblog.jp/7250404/
 以下は、それからもみても、更によそ見のよそ見になるかな。

 この付近、何度も散策しているのだが、この奥州街道谷地一里塚跡の標柱が立っていることを整理していなかった。そう思ったのは説明会に向かう時だったが、実際に撮ったのは帰り道。
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 ここに水準点があるのに気づいたのは、帰り道。これも東山道とのかかわりではないが、よそ見して見つけたものとしてここに張り付けておく。ここは、もう桑折町に入って、久保八幡集会所を越した付近。
a0087378_17553690.jpg

 帰りに、道筋と目標物の確認をしながらきたが、「藤田駅」もその目標物の一つ。道筋とのかかわりでみれば、かなり西側に。
a0087378_17581849.jpg

by shingen1948 | 2012-12-27 18:00 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)