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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津の立ち寄りの忘れもの~冬木沢

 先に、仏都のイメージとのかかわりで恵日寺を中心に整理した事がある。
 今回の会津での立ち寄りでは、その慧日寺から高寺伝承の入り口あたりまでそれが広がったかなという感じ。

 それとは別のイメージを思い出した。今回の立ち寄りを整理しているうちに、親に冬木沢に連れて行くことを乞われたことがあったことを思い出したのだ。その時を思いだせば、日程をやりくりして実際に出掛けたのは8/10前後だったと思う。
 それが、今回確認してみれば、冬樹沢祭りがあったのは8/7までということらしい。それなら、訪れたのは、その祭りが終わって直ぐの時期だったということになるなと。
 実は、今まで親の気持ちに寄り添った積りの思い出だったのだ。それが、そうではなかったのかも知れないと思えてきたのだ。
 当方が知りたい事は、地元の方にとっては日常の中で常々感じていることであり、誰もが既に知っている常識とされる。それで、説明を受けるチャンスが少なかったというのはいい訳かな。

 河東商工会のページを開くと、「八葉寺」について以下の解説が載る。
 奥の院の壁や天井に無数に打ち付けてある納骨五輪塔には、約600年前のものもあります。この塔の中に死者の遺髪や遺骨の一部を入れて供養するという風習は、全国で八葉寺だけに残っている国指定重要有形民俗文化。
 会津では、家族が亡くなって100日経つと死者の髪の毛や歯、骨などを小さな木製の五輪塔に入れ、阿弥陀堂に奉納する習慣がありその五輪塔は冬木沢祭りに行われるという。これが、会津のお年寄りなら「冬木沢祭り」を知らない人がいないほど一般的な行事ということらしいのだ。
 ここが会津地方第一の霊場であるという前提があって、会津の高野山と見立てることによるらしい。高野山信仰とのかかわりであることが分かる。天正の頃、ここは金剛寺の末寺で、その金剛寺11世有安が、高野山で修行して八葉寺の住職となり再興されたこととかかわるのかなと思う。
 かつての冬木沢祭りは、7/1〜11月だったが、現在は8/1~8/7までで、会津だけでなく、新潟からも参拝に訪れるということらしい。オワカサマといういたこ達が、ホトケノクチヨセで、死者の霊をよび降ろして対話するということだ。

 ここが会津地方第一の霊場とする前提部分だが、寺伝で康保元年空也上人開基とすることもかかわるようだ。河東町だった頃の「河東町町史」を確かめると、これが高都光勝寺の記録「空也絵詞伝」に天禄3年(972)9月11日、奥州黒川郷にて臨終の記録があるようなことが書いてある。
 通説を確認すると、空也は972年、70歳にて東山西光寺において示寂とのことだ。ネットで、光勝寺を検索すれば、「都名所図会」なる江戸時代のガイドブックの「紫雲山極楽院光勝寺」の項に、以下の解説があることがみつかる。
 空也上人出誕は延喜三年なり。(月日不詳) 入寂は天禄三年九月十一日、奥州会津黒川郷八葉寺にて往生を遂げ給ふ。年七十歳。(京師より関東へ赴き給ふは十一月十三日なり。この日、毎歳当寺において歓喜踴躍の念仏を修す)
 史実であるような単なる伝承であるようなところが、かえって神秘的。史実と伝承がつながるような、つながらないような何とも不思議な感じ。
 これも、次の機会の立ち寄り候補に挙げておきたい。
by shingen1948 | 2012-12-18 05:20 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)