地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津の立ち寄りの忘れもの~恵隆寺

a0087378_665874.jpg 恵隆寺に立ち寄った事について先に整理している。ただ、案内される説明がよく分からなかったので、この塔についてはふれていなかった。

 高寺伝承が気になって、「青巖と高寺伝承」に目を通していたら、これとかかわる事と思える紹介に出会った。
 まだ孫引きの段階だが、「会津坂下町史」に慧日寺とのかかわりを次のように紹介されるとのことだ。
 「会津坂下町史」では、大同年間806~809に、慧日寺の徳一によって高寺山は再興され、恵隆寺を中心に恵隆寺を中心に36坊があって多くの修行僧が生活していたと記す。
 塔寺には慈光坊があって、後に慈光院弥勒山清水寺と名称を変え、また、この地には黄金や白金をちりばめた塔があり、これにより黄金塔村・小金塔村とも称したとある。別説によると、この小金塔は金箔が張られていて朝日を受けると金色色に輝き、会津坂下以東の村々からも拝することができたということにより、塔寺の地名が発祥したと言われている。
 あらためて案内板を読むと、「再建の発端」に根拠資料は別だが、言いたい事は、同じ塔の事らしいことが分かる。
 御案内
 名称:小金塔(こきんとう)
 御仏:大日如来
 一代守護:未(ひつじ) 申(さる)歳生れ
 御縁日:毎月28日
 再建の発端
 会津風土記(寛文6年ー1666年)の記述によると、その昔、恵隆寺立木千住観音堂の現境内地に、小さなまばゆいばかりの塔があったと書かれている。
 このことにより、昭和57年の調査で礎石が発見され、方形に塔の4隅の土台石として正方形に発掘された。
寺に継承されてきた御仏も、昔をしのぶ御姿に大補修され、発掘された4個の大石を4隅に配し再建して今日を迎えた。
 素直に読みとれば、会津が慧日寺の影響下にあった時代に、ここは後に慈光院弥勒山清水寺と名称を変える慈光坊があったと読みとれる。そこに黄金や白金をちりばめた小金塔があったという言い伝えがあったようだ。
 昭和57年の調査で、方形の4隅に土台石と思われるものが発掘され、これがその礎石だろうと推定されたということなのだろう。
 それで、平成12年(2000)に、ここに素木造りの三重の塔を建てられたという経緯らしい。

 興味深いのは、「会津が慧日寺の影響下にあった時代【大同年間(806~809)頃】に、ここは後に慈光院弥勒山清水寺と名称を変える慈光坊があった」ということ。そして、その寺には36坊があって、多くの修行僧が生活していたということ。これが、恵隆寺がここに移転してくる以前の話らしいこと。
by shingen1948 | 2012-12-15 06:15 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)