地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第48話「幻の都」

 還都した平家が、治承4年(1180)12月初めから反撃を始めるが、今話も通説に近い展開らしい。
 「坂の上のサインボード」では、その反撃を以下のように整理されている。
 清盛はまず手始めに近江の園城寺を焼き討ち、続いて畿内最大の反平家勢力・南都興福寺を討伐すべく、平重衡を総大将とする追討軍を南都に差し向ける。南都に攻め入った追討軍は、興福寺、東大寺など七寺院に火を放った。興福寺では金堂や南大門をはじめ堂舎38ヶ所が燃え尽き、東大寺も正倉院を除いてほとんどの堂舎が消失。大仏もむざんに焼きただれた。
 これで、清盛は「仏敵」とみなされ、寺院勢力を完全に敵に回す。その上、平安貴族をさらに平氏から離反させることにもなる。もっと下からの目線に下げれば、この時に堂内に逃げこんでいた多くの人々が焼死したということもあり、大仏の頭が落ち、その身体はどろどろに溶けて山のようになったとかということかな。
 「平家物語」巻5「奈良炎上」では、民家に放った火が、折からの強風にあおられて、伽藍に延焼したとする。しかし、計画的な「南都焼き討ち」であり、房舎の焼き討ちも当初からの計画であったろうというのが通説らしい。

 この「奈良炎上」あたりに焦点を当てて整理したかったのは、地域散策とのかかわりもある。
 壇ノ浦後の話ではあるが、これが西行の2度目の陸奥の旅とかかわるらしい。
 文治元年(1185)年、平氏が壇ノ浦で滅亡した年の8月に、後白河法皇を導師として「大仏開眼供養」が行なわれる。その時、大仏をおおう全身の鍍金が終わっていなかったが、それは藤原秀衡から貢献されるはずの金が遅れていたためとか。その督促役が西行とのことだ。
 文治2年(1186年)7月、69歳の西行は、東大寺の砂金勧進で藤原秀衡に会うため、高齢を押して、遠く離れた異郷である陸奥の旅に出るということになるらしい。
 事実の羅列の中では、イメージが膨らまない。その辺のイメージを膨らませて地域散策をより楽しむために、「西行花伝」の部分読みをする。
 「西行花伝」には、間接的ではあるが30代に西行が高野山聖の経験を匂わすところもある。そうなると、これがイメージ的には会津河東の八葉寺にも重なり、河沼郡散策あたりまで繋がったような感じになっている。
 自分は結構楽しんでいるが、視聴率は10.4%とのことで、横ばいらしい。
 第48話「幻の都」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_48.html
 「幻の都」 
 富士川の戦で敗戦し、忠清(藤本隆宏)も斬れずにしりもちをついた清盛(松山ケンイチ)を待っていたのは、棟梁・宗盛(石黒英雄)からの福原から京への還都の申し出だった。宗盛の涙ながらの訴えに、清盛もついに折れざるを得ず、安徳天皇(貞光奏風)を頂き、最初で最後の五節の会が福原で行われ、その宴をもって、京へ還都する。還都の知らせに、清盛が何を求めて武士の世を目指しているのか、わからなくなった頼朝(岡田将生)は、清盛の過去を知る弁慶(青木崇高)に、若き清盛のありようを聞く。若き日、故意に神輿(しんよ)に向けて、矢を射た清盛のことを聞き、頼朝は、清盛の目指す世も、父・義朝が目指し、いまの自分が目指す世も同じものであることに思い至る。そんな時、南都・興福寺を攻めた平家軍の火が、東大寺の伽藍(がらん)を焼失させてしまう。

by shingen1948 | 2012-12-14 06:09 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)