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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「桑折西山城跡<西舘>」現地説明会に出かける③

 西舘の土塁の内側の石積みは、耕作によるもので、畑の石を除去した際に積み上げられたものとのこと。否定形の情報だったが、そういう情報が、もう一つ。
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 これは、中舘から西舘の石積みの外側の土塁を見たところ。
 この西舘の土塁と、空掘りを挟んだ中舘の土塁の高さがほぼ揃えられていて、ここに橋が架かっていたのではないかと想像されていたらししい。

 その堀底には石が転がって、それが橋脚の基礎部分との想像だったらしい。それで、その石積みを中心に周囲に他の橋脚の痕跡がないかどうかを探ったが、石積みや掘立柱跡等は見つからなかったとのことで、橋脚はなかったということらしい。
 堀底に転がっていた石は、土塁の上部に置かれた石が落ちてきたものとの推定し直したということのようだ。
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 ただ、内側の石積みは耕作によるものだが、それとは別に、土塁の上に積まれた石が置かれていたという想像のままで、「土塁の高さを揃えた」場所らしい。ということは、橋を架けようとして未完のままという想像につながるらしい。

 この中舘と西舘の間の堀自体状態と、その堀の造り方のようなものにも興味は広がるが、そのことについて、説明会資料では、「(中舘・西舘間の堀の形状は、)戦国時代によく用いられる「薬研堀」と呼ばれる断面がV字になる堀だったことが分かりました」とある。
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 結果としては否定形だが、これを積極的に結論に結びつければ、「この中舘と西舘の間の堀は、戦国時代につくられた堀であり、土塁の高さを揃えてここに橋を架けようとしたが、何らかの理由で未完に終わったという痕跡」ということになるのかな。(これは、中舘側の堀面)
by shingen1948 | 2012-12-09 05:59 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)