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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「桑折西山城跡<西舘>」現地説明会に出かける②

 いつもの説明会の駐車場は観音寺だった。今回もそちらだろうと思ったら、今回はパンフレットにある「山田の平場」とあるあたりと思われる所まで案内された。西山城跡の南東方向にあたる。慣れた方にとっては、ここから見る西山城の風景は、当たり前の風景なのだと思うが、方向音痴気味の自分にとっては、新鮮な風景に見えた。
 全体をぐるりと廻ってから目的の場所に近づくという習性から、最初の藪漕ぎ状態の散策でもこちらから城跡は見ているのだが、その時点では城の地形が頭に入っていない状態だった。
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 桑折西山城跡<西舘>には、西舘の枡形状虎口(出入り口)の東側の土塁に臨時に設置された階段を登って入るのだが、その枡形状虎口の手前の石垣に、「この石垣は城のものではありません(耕作によるもの)」との注意書き。
 西舘の石垣は史跡とは違う可能性が高まっているということは、先に頂いていたパンフレットにも載っていたが、その写真は、西舘の中にあるもの。

 説明会の前に、頭を馴染ませるためにぐるぐる回って観察するのは何時もの事だが、今回は、何時ものコースで入ってきていないので、その時のイメージとも馴染ませる必要がある。一度中舘に抜けて、そこから入り直して、今回見えた風景と先のイメージを念頭操作で馴染ませる。
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 その中舘と西舘の間の土塁の内側の石積みも、今回の調査対象になっているようだ。
 結論としては、この石積みも耕作によるもので、畑の石を除去した際に積み上げられたものということらしい。ということで、西舘の石塁とされていたものは、耕作にともなって、農家の方が積み上げたものということだったということらしい。
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 耕作の土を剥いだその下方には石積みの痕跡が全くないということで、石塁でないのは明かということらしい。
 感心するのは、今まで石塁とされてきたという程丁寧な石積みをした農家の方の労力。
 西舘内を耕作するには、ここには邪魔な石がゴロゴロとあったという事でもある。農家の方は、それを取り除いて耕作したということであろう。この毎日の繰り返しの中で、その取り除いた石を積み重ねていった仕事の結果なのだが、それを学者さんたちが、石塁だとしてしまったということになる。
 石積みをした農家の方々は、自分たちの積んだ石積みが、城の一部とされていくその経緯も見ているわけで、日常の地道な繰り返し作業の中で、それはそれで楽しかったかなと思ったりするのは不謹慎かもしれないな。
by shingen1948 | 2012-12-08 05:20 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)