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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第47話「宿命の敗北」

 今話は、今まで断片的に描かれていた頼朝が挙兵することと、平家方が行き詰まることを絡ませて描く。「宿命の敗北」とあるように、頼朝の挙兵、石橋山の戦いでの敗走、富士川の戦いまで、一気に進んでしまう。確認しながら整理していくには早すぎる展開だが、放送の期限を考えれば、これも仕方がないか。
 今回は、慌てずに「おごる平家は久しからず」の物語の視点からの整理を続けて行くことにする。

 前話で、邸から追い出してしまった祗王に、「仏が退屈そうだから」といって邸に呼びつけられて仏御前と清盛の前で舞わせられるなどの屈辱を受ける場面が、頂点を極めた清盛の自分を見失う苦悩と重ねて描く。これが、第44話「そこからの眺め」とつながり、頂点に立った者にしか分からない苦悩ということで、先の白河院との関係性との伏線につなぐという層の厚い伏線構成になっているらしかった。
 そこに、今話では更にその先の父忠盛の言葉と結びつける。
 「おのれにとって生きるとは何かを見つけたとき、心の軸ができる。心の軸が体を支え、心を支えるのだ」との言葉を想起する清盛は、今や心の軸を失っていた姿という描き方だ。 
 今の時代、こんな重層的な伏線が支持されるわけもない。視聴率には見切りをつけて、描きたい事を描くという本質を突き進もうとする姿勢すら感じる。(今話視聴率は、10.8%とか。)

 「100分で名著」の年表で確かめると、現在のドラマ進行の時代と、「方丈記」の第2章が重なる。
 治承4年(1180) 長明26歳の時の5月が、前話の「以仁王の乱」による源頼政敗死で、その6月に「福原遷都」強行、そして、8~9月「源頼朝、木曽義仲挙兵」というのがドラマで描かれることだが、「方丈記」は、その3年前の安元3年(1177)4月長明23歳の時の「安元の大火」から描かれる。
 次に描かれる「治承の辻風」はその治承4年(1180)の4月で、その年6月の「福原遷都」は、方丈記も批判する。そして、方丈記では、「養和の飢饉」も描くが、これが養和元年(1181)27歳の時で、この年の2月に清盛が死去する。ドラマは、この辺りまでかなと思う。
 福原への遷都についてだが、「方丈記」では、「古京はすでに荒れて、新都は今だならず」と状況を描写し、民を一顧だにしない今の政治のありさまについて糾弾している。福原への遷都を強引に推し進めたことによって、京の都はその負担で疲弊し、住まいを解体して建材を淀川に流して運んだりするため、京の町は打ち壊しにあったようだったとか。
 なお、「方丈記」の「安元の大火」の描写は、吉川英治の「新平家物語」にそのままそっくり採用されている。

 清盛にしてみれば、福原への遷都は必要不可欠な事と考えたのだろう。
 京都の歴史と伝統は、摂関家藤原氏をはじめとする公家を中心とした国政の運営をも意味し、興福寺や東大寺、延暦寺などの大寺院の影響力も大きいということでもある。辺鄙な福原への遷都は、これ等の歴史と伝統と決別して、平家の血を引いた安徳天皇を始祖とする「新王朝」の幕開けの地にしたかったということなのだろうと思う。
 しかし、「方丈記」は、この事について誰もが激しく反発していたらしい事を伺わせる。
 それまで380年以上日本の都として栄え、歴史と伝統が刻み込まれた京都が捨てられ乱れる事への反発は、平家物語が「平家の悪行の極み」とするだけではなかったということらしいことが分かる。

 第47話「宿命の敗北」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_47.html
 「宿命の敗北」
 治承4年、頼朝(岡田将生)が挙兵。清盛(松山ケンイチ)は高倉院(千葉雄大)の名のもとに追討令を発す。頼朝は石橋山で敗戦するも、各地で次々と反平家の武士たちが立ち上がる。が、動じない清盛は、周囲の反対にも耳を貸さず福原への遷都を推し進める。同時期、頼朝のもとへは上総広常(高杉亘)ら有力な武士が次々に集結。頼朝は父・義朝の悲願である本物の武士の世をつくることを胸に誓う。10月20日、駿河富士川にて、平家・維盛(井之脇海)・忠清(藤本隆宏)軍と源氏・武田信義(永澤俊矢)軍が布陣するが、維盛軍は、水鳥の音を聞いただけで、おびえて敗走する。怒り狂った清盛に忠清(藤本隆弘)は、清盛自身が、もはや武士ではない、と断言する。

by shingen1948 | 2012-12-07 05:39 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)