人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

「桑折西山城跡<西舘>」現地説明会

a0087378_355532.jpg 「桑折西山城跡」の現地説明会が、11月10日に開催されるという報道を見かけたので出掛けてみることにした。
 昨年の桑折西山城跡<本丸>現地説明会にも参加したが、特に整理していなかった。
 昨年は、本丸の表門に当たる東側の出入り口の様相の調査だった。ここには櫓門があって、その通路は石敷きで、大手門に通じる本丸の正門として、威厳を持たせた造りになっていたとか。更に、その門が、廃城に伴って、石積みで出入り口を塞いだと思われる状況の説明かな。これ等は、大震災に伴って継続調査計画の変更の可能性もあったらしく、前年の本丸の調査の詳細調査という小規模調査だったように思われた。規模縮小の可能性や調査計画の変更もあるかもしれないとのことでもあった。
 この説明会の時に、西舘の方も下草が刈られていて、観察しやすい状態にはなっているという事だったので、少し散策していたところだった。
 報道は、本年度も調査が継続され、その西舘の調査についての説明会という情報だった。
 
独自の石積み跡発見 戦国期築く桑折西山城跡【福島民報2012/11/10】」
 福島県桑折町の国指定史跡「桑折西山城跡」で9日までに、戦国時代末期の1600年ごろまでに築かれたとみられる石積みの跡が新たに見つかった。同町教委によると、当時、西日本を中心に発達していた石垣とは石の形状などが異なっており、地元独自の技法が用いられたとみられる。 
 町教委が9月から実施している調査で発見された。本丸西側の西館の出入り口に当たる部分で、幅2メートルほどの通路の両脇に築かれていたという。 
 町教委によると、西山城は戦国武将伊達政宗の曽祖父の伊達氏14代稙宗(たねむね)が1532年ごろに築城した。石積みは本丸完成後に改修工事で組まれたが、何らかの理由で石が崩された。鉄砲戦で優位性を保つことと、敵への威圧を目的に築かれたとみられる。関ケ原の戦い(1600年)以後は合戦用の城は不用になったことから、それ以前に造られたと推測される。 
 町教委は10日午後1時半から町内万正寺字西舘の現地で発掘調査の説明会を開く。問い合わせは町教委生涯学習課 電話024(582)3129へ。
 報道によると、「戦国時代末期の1600年ごろまでに築かれたとみられる石積みの跡」とのことだが、昨年の説明会では、西舘の石垣は史跡とは違う可能性が高いという話を聞いていたはずなので、そのかかわりも気になった。
by shingen1948 | 2012-12-05 05:20 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)