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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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河沼郡を意識する

a0087378_6155532.jpg 坂下駅前近くの公園に、河沼郡役所跡・坂下組代官所跡の案内柱が建つ。坂下組代官所跡に、河沼郡役所が建てられたということかな。
 その河沼郡の地域区分を確認すると、現況は会津坂下町、湯川村、柳津町の2町1村だが、昔はもっと範囲が広かったようだ。
 明治12年(1879)発足当時は、現在の行政区の喜多方市の一部(新郷村・千咲村・新舘村)、耶麻郡西会津町の一部(阿賀川以南の野沢村・正中村・芹草越村・尾野本村・登世島村・睦合村・下谷村・群岡村・上野尻村・宝坂村)、会津若松市の河東町各町(日橋村・堂島村)も含んでいたらしい。
 ただし、柳津町の軽井沢、久保田地区以南は、1955年に大沼郡から編入されたものとか。

 この河沼郡役所が坂下町に設置されるのは、福島県での施行による行政区画として河沼郡が発足する明治12年(1879)。
 大正12年(1923)に郡会は廃止されるが、この時には郡役所は存続しているらしい。郡役所も廃止されるのは大正15年(1926)とか。
 自分の意識では、単なる地域区分名称でしかないが、これはそれ以降ということらしい。なお、この写真は、先にメモ代わりに撮ったもの。今回、河沼郡を意識したことで使用した。

 「坂下町広報紙」によると、議決機関には郡会と郡参事会があって、明治30年(1897)に初めて郡会が開かれたとか。郡会議員は21名で、その3分の2が各町村議会からの互選で、残りは大地主の互選とされたという。郡参事会は、郡長と県知事の任命による郡参事会員5名構成とか。
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 その歳入は、郡の構成町村からの負担金と国・県からの補助金、明治39年度からは、そこに寄付金も含まれたという。
 その歳出は、土木費がその半分を占め、郡内の町村をつなぐ道路や橋梁等の交通網の整備に当てられとか。次いで、教育費や勧業費で、郡立農業学校(県立会津農林高等学校の前身)の設立や農蚕業の振興のため農事試験場や蚕業試験場の設置、郡自治に有益な各種団体の育成などに当てられたとか。
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 堂島駅に立ち寄ったのは、この辺り近くの郡山地区が会津郡のもっとも有力な郡衙の候補地が近いとの情報から、風景を眺める一つの定点にならないかなとの思いだった。ここを整理するつもりはなかったが、ここも昔は河沼郡だったということで、写真を張り付けるが、この道筋坂下街道となっているが、河沼郡を貫く街道ということかな。
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 なお、会津郡衙は確認されていないが、7世紀末には郡衙が成立していたと考えられているとのこと。昔、河東郡だったことと、会津郡衙の候補地の風景の意味も重ねて、……。
by shingen1948 | 2012-12-04 06:34 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)