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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津坂下駅

a0087378_4401423.jpg 小さい頃、自家用車はなく、主な移動手段は徒歩や自転車、少し遠くは、公共交通機関の列車とバスだけだった。只見線でよく利用していたのは、若宮駅。連れて行かれることでもあって、その隣駅であるこの会津坂下駅までの利用はなかった。
 この沿線上で、よく出かけて親しみがあるのは会津本郷、会津高田あたりまでで、その会津高田あたりも実際に立ち寄りたかったところは、その南寄りだった。それで、この沿線上の会津高田―根岸―新鶴付近も殆ど意識していなかったように思う。
 この付近の散策を確認すると、伊佐須美神社周辺や藤田宿周辺の散策は、馴染みある風景の中で意識していなかった事を確認したものだが、霊山寺とのかかわりで天海僧正をたずねた龍興寺の立ち寄りは、認識の広がりでもあった。整理はしていなかったが、昨年利用したほっとぴあ新鶴の温泉の経験と今回の中田観音立ち寄りで、今はその間がつながった感じがしている。

 勿論、只見線のこの先にも出掛けた事はあるが、路線図的な感覚で、ここから先の塔寺―会津坂本―会津柳津とどんどん西に進んでいくというイメージだった。
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 地図で確認すれば、実際には会津盆地の南の縁沿いに進んだ只見線は、ここから進路を南に変えて進行し、峠に向かう。
 その山々が、まだよく確認していないが、高寺の伝承とつながるのかな。
 高寺山を中心とした地域に、三十六坊が繁栄したということらしい。それが、地元では今回立ち寄った恵隆寺がかかわっていると考えているらしい。詳細は分からない段階だが、磐梯町・慧日寺に対抗していたという話があったり、先に何度か利用した事のある会津自然の家は、地図で確認する範囲では高寺山山麓であったりする。
 そういった諸々がつながるものやら、つながらないものやら。もう一つ気になった情報が、慶長の大地震(1611)かな。
 なお、恵隆寺は中世には心清水八幡神社の神宮寺としての役割があって、その門前町である塔寺が繁栄するということらしい。今度の機会には、せめて心清水八幡神社に立ち寄ってみるか。

 ※ <天海僧正をたずねた龍興寺>
 ○ 天海僧正両親の墓(龍興寺)に立ち寄る
 http://kazenoshin.exblog.jp/11649675/
 ○ 天海僧正両親の墓(龍興寺)に立ち寄る②
 http://kazenoshin.exblog.jp/11660190/
 ○ 天海僧正両親の墓(龍興寺)に立ち寄る③
 http://kazenoshin.exblog.jp/11662700/
 ○ 天海僧正両親の墓(龍興寺)に立ち寄る④
 http://kazenoshin.exblog.jp/11670112/
by shingen1948 | 2012-12-03 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)