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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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立木観音堂②

a0087378_5234515.jpg  山門は、現在修理中のようだった。
 慶長16年(1611)の会津大地震で伽藍が倒壊し、30年後に再建した最初の建造物だとか。町指定重要文化財のニ躯の金剛力士の木造立像が、山門を守るとのことだが、よく見なかった。

 ここが「立ち木観音」と呼ばれるのは、ここの御本尊が立ち木の大樹に彫られた11面千手観音像である事に由来するらしい。
 今回は、境内を散策させていただき、ただお参りしただけで拝観しなかったが、こちらも国指定重要文化財とのことだ。
 会津坂下町のホームページで確認すれば、以下のように解説される。    http://www.town.aizubange.fukushima.jp/Members/bunkashinkou/contents/list/bunkazai02.html
 国指定重要文化財
 立木観音(千手観音像)
 (大正4年3月26日)
 千手観音像は、恵隆寺観音堂(立木観音堂)の本尊であり、鎌倉時代初期の作とみられています。一木造で、像高7.42m、総高8.5mの大像であり、「塔寺の立木観音」の名で親しまれています。観音堂内に二十八部衆・風神・雷神を従えたその姿はまことに壮観です。
 また、恵隆寺は会津三十三観音31番札所として、また西会津町・如法寺(鳥追観音)、新鶴村・弘安寺(中田観音)の観音像とともに「ころり観音」のひとつとして信仰を集めています。観音堂のだきつき柱にだきついてお祈りすれば、ころりとあの世にいけるとの信仰や、苦死(くし)からのがれるために、櫛(くし)などを奉納するなど、連日多くの参詣者でにぎわっています。
 ここでは鎌倉時代初期の作とあるが、金塔山恵隆寺立木観音堂ホームページでは、御本尊十一面千手観音は、大同3年(808)弘法大師が夢のお告げを受け、桂の大樹に一刀三礼の精魂を込めて彫り上げたとし、彫り上げたのは徳一大師の可能性もあることを匂わせる。
 「福島県の歴史散歩」では、寺伝や「新宮雑行記」等、恵隆寺が高寺伝承の寺といわれることを元にして、平安時代初期に、現在地に再建したのが徳一大師だと紹介する。
 なお、眷属としての木造二十八部衆・風神・雷神は、県指定重要文化財らしい。
 県指定重要文化財
 木造二十八部衆立像  風神・雷神
 (昭和58年3月25日)
 二十八部衆は千手観音に従い、真言のお経を唱え教えを信ずるものを病気・災害から護ってくれるといわれています。恵隆寺の二十八部衆は、観音堂本尊(千手観音)の左右壇に、それぞれ14体ずつ(そこに雷神・風神が加わる)5列に並んでいます。
 像高157cmから175cmで、ケヤキやホウノキによる一木造です。像の製作は室町時代以降と 思われますが、像の彩色は、慶長の大地震(1611年)後の修理の際に塗り替えられたものです。また、像の姿・形は儀軌(造像する際のきまり)によらず、地方色にあふれています。肥満ぎみの容姿が多い中で、藤原様式の古様をしめす3体の像もあり、今後詳しい調査が待たれます。
 代表的な例として京都・蓮華王院 (三十三間堂)の諸像がありますが、より時代が下がるとはいえ、これだけ大きな像が完全にそろっているのは壮観で大変珍しく、注目されています。【会津坂下町のホームページ
http://www.town.aizubange.fukushima.jp/Members/bunkashinkou/contents/list/bunkazai13.html
 次の機会には、拝観して見たいと思う。
by shingen1948 | 2012-11-29 05:31 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)