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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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中田観音

 主要な街道筋には、あちこちに中田観音への案内板が立っている。時間調整もあって、案内に沿って進んで、立ち寄ってみた。
 寺の本堂にも見える観音堂前の案内では、以下のように説明される。
a0087378_6133861.jpg
 国指定重要文化財
 銅造十一面観世音及び脇侍二体
 文永11年(1274)長者江川常俊が娘の菩提を弔うために十一面観世音菩薩立像を鋳造し愛娘の心が宿るここ中田の里に納めたといわれる。
 次いで弘安2年(1279)冨塚伊賀守盛勝公が伽藍を鋳造し普門山圓通閣と称した。その後、普門山弘安寺と改名され、観音堂におさめられて現在に至る。
 十一面観世音菩薩立像
 鋳造物で御身の丈6尺1寸7分(1m87㎝)光背に文永11年(1274)8月8日の銘文がある。
 脇侍 不動明王立像
 同3尺1寸(93.9㎝)
 3体とも、昭和3年4月3日国宝に指定
 昭和25年8月国指定重要文化財となる
 会津美里町教育委員会
a0087378_6154983.jpg 案内板は、車道を案内するようで、西側から入り込んだ。逆コースになったが、帰りは細道の表参道を下った。表参道からは、門前はこんなふうに見える。
 「福島県の歴史散歩」で確認すれば、長者江川常俊は、左布川(会津高田町字宮の腰)の長者とか。
また、山門過ぎて直ぐ右手の保存庫に弁天堂(国重文)が収められていて、この堂が元々の厨子だったとか。それが、寛永19年(1642)観音堂再建の際に本堂外に出されたものとか。しかし、この堂も弘安2年(1279)冨塚伊賀守盛勝公が伽藍を造営した当時のものと考えられているとか。
 今度は、きちんと参拝する心づもりでたずねたいもの。
by shingen1948 | 2012-11-26 06:18 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)