人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

翁島駅

a0087378_12301215.jpg
 翁島駅に立ち寄ったのは、深い意味はない。ただ、旧沼尻鉄道の車両が緑の村にあるというので立ち寄ったら、そこに旧翁島駅舎が移築されていた事で、その旧地を確認しておこうと思っただけ。
 ここに、「野口英世が郷里に凱旋し歓迎を受けた翁島駅」の案内板が建つ。
 野口英世博士の想いで
 「野口英世が郷里に凱旋し歓迎を受けた翁島駅」
a0087378_12351729.jpg 大正4年(1915)9月8日、15年ぶりで帰国した英世が初めて郷里の土を踏んだところです。駅前にはアーチと国旗が掲げられノロシもあがり、歓迎のため沿道には800名程の村人が集まりました。医師試験受験のために上京した明治29年(1896)9月、19歳の時には、単身で故郷を離れ東北線の本宮駅まで歩いて行った英世にとって、この歓迎ぶりにはたいへん驚き、万感の想いをいだきました。
 野口英世博士生誕のふるさとづくり推進委員会
 英世は、明治29年(1896)9月に上京するのに本宮駅まで歩くのは、この時には鉄道が走っていなかったからで、ここに駅ができるのは、3年後の明治32年(1899)に、岩越鉄道によって開業されてから。これが、明治39年(1906)に国有化される。
 ただ、この時の駅舎は、緑の村で案内される貴賓室のある立派な建物になる以前の建物のはずで、緑の村で案内される「猪苗代湖畔には、有栖川宮・高松宮の翁島別邸(天鏡閣・迎賓館)が設けられたその最寄駅」以前のできごとということで、扱い的には現在の駅舎の扱いに近いかな。
 ということで、写真は、掲げられている凱旋写真の構図に近い位置から撮ってみたもの。

 今回、野口英世博士の郷里凱旋とかかわる中田観音にも立ち寄ってきている。そのつながりのようなものも感じる。
 なお、駅の沿革にある「昭和59年(1984)にお召列車が運転され、昭和天皇夫婦が下車された」とあるのも、旧駅舎が緑の村に移築された次の年のということなので、この駅舎が新築されて間もない頃ということかな。
by shingen1948 | 2012-11-23 12:37 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)