地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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磐椅(いわはし)神社④~鳥居杉

a0087378_5395849.jpg 鳥居杉の大きさには、圧倒される。その脇に案内板が建つ。
 その案内によれば、元久2年(1205)に、猪苗代城主三浦経連が、磐椅神社に社領を寄進したとのこと。この方は、初代猪苗代氏で、鎌倉時代初期に猪苗代城を築城されたとか。それ以来猪苗代の地を支配される。
 その2年後の承元元年(1207)夏に、磐椅神社を現在の地に遷座して、その時に、この鳥居の杉として社前に植樹されたということらしい。
 今回の立ち寄りとのかかわりでいえば、この後、天正年中の伊達政宗による摺上原の合戦後、一時衰微するが、会津藩主保科正之公が、寛文年中に社殿を造営する経緯とつながるらしい。万治2年(1659)には、正之公が当社に参詣して、没後は土津神社をこの末社とすることを告げて神事を行ったとか。
 これが、鎌倉時代以降の話。

 案内板には、鎌倉時代以前のそれまでの神社の位置が、土田堰の南の大鹿桜のかたわらにあったとの情報も記される。それ以前の由緒を刻んだ位置という意味で気になるところ。
 神社の由緒にある「見祢山南麓の現在地に遷座し、相殿として品陀和氣命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)を祭った」とあるが、これが聖武天皇の御代(奈良時代)の天平元年(西暦729)8月25日とか。それ以来、承元元年(1207)まで土田堰の南の大鹿桜のかたわらでその由緒を刻んだということかな。
 これが、マホロンの遺跡検索で、土田堰用水路の南側に古墳時代「見祢遺跡」が紹介されるが、古墳と重ねても、神社と重ねても検索にかからないこととも重なるのか、そうでないのかは分からない。
 天然記念物
 鳥居杉
 元久二年甲子年 猪苗代城主三浦経連 磐椅神社に社領を寄進し、二年後の承元元年夏 大鹿桜の傍 元土田堰の南に在った神社を現在の地に遷座して、其の時鳥居の杉として社前に植樹されたのが此の杉で樹令約七百七十年である。
 左西側の杉は、幾度かの落雷で半月空洞状態と成り、昭和丗三年八月の猛烈な台風で地上約十五米を残して倒潰し、現在の姿となったとは言い、磐椅神社の神木 鳥居の杉として古い歴史を語り 信仰の中心の御社の尊厳を保っている。
 猪苗代町教育委員会

by shingen1948 | 2012-11-18 05:48 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)