地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第44話「そこからの眺め」

 今話は、いわゆる「治承三年の政変」とのこと。清盛は、後白河法皇を鳥羽離宮に幽閉するが、ドラマでは、治天の君を退けたこの時点が、武士が頂点に立つという悲願を成し遂げた時点とみる。
 「そこからの眺め」の題は、祇園女御が問い、西八条の別邸に行啓した言仁が穴をあけてしまった障子から満足げにのぞき込む姿で象徴する幸福絶頂にいる清盛かな。

 その「治承三年の政変」の要因を確認する。
 出来事としては、その一つが、関白・藤原基実に嫁いだ清盛の娘盛子の死去にかかわることで、もう一つが、後白河路線に同調的であった重盛の死去にかかわることと、このことにかかわる後白河院の動き。
 
 清盛の娘盛子の死去にかかわる動きの一つが、その盛子の遺領を没収したこと。
 長寛2年(1164)盛子8歳のとき、21歳の基実に嫁いだのは政略結婚。2年後の永万2年(1166)基実が23歳で急死する。その後任の摂政には、基実の弟基房が就任する。
 基実には膨大な摂関家領をはじめとする相伝の財産があり、本来は、その大部を基房が受け継ぐべきものだったが、清盛はその殆どの遺産を正室・盛子(10歳)に相続させた。あくまでも、嫡男・基通が成人するまでの一時的な措置という建前で、清盛は盛子の父として摂関家財産を管理していたこととのかかわり。
 平家側は、この遺産を盛子が準母になっていた高倉天皇の管理下に置こうとした。
 これを、基房は盛子の死を機に、この財産を取り戻したいと考え、後白河院に働きかける。後白河院はこの訴えを利用して、事実上、近臣の藤原兼盛を「白河殿倉預」に任命し、盛子の遺領すべてを自身の管理下に置く。
 もう一つの動きが、松殿基房の嫡男・師家を権中納言に任命したこと。
 平家は、盛子の養子・藤原基通を権中納言に推挙するが、これを無視。基房の子師家を権中納言とする。  師家は僅か7歳で、基実嫡男・基通(19歳)を跳び越えたこの人事は、明らかに近衛家の摂関家継承を妨害するもの。

 後白河路線に同調的であった重盛の死去に伴う後白河院の動きも、遺領の没収。
 越前国は、十数年前から重盛の知行国であり、重盛の死後は嫡男・維盛が継承するのが当然視されていたが、後白河院はこれを没収して、院近臣の藤原季能を越前守に任じる。
 後白河に恭順であった重盛に対する冷淡な仕打ちであることも、清盛に対する挑発行為。

 よく分からないのは、後白河院の挑発行為に比べ、清盛に対する無防備さとその軽さ。

 第44話「そこからの眺め」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_44.html
 「そこからの眺め」 
 法皇(松田翔太)と清盛(松山ケンイチ)の間に入って、心労を重ねていた平家の心優しき嫡男・重盛(窪田正孝)はついに病の床に伏す。さらに清盛の娘で摂関家のパイプ役だった盛子が病死。平家に暗雲がたちこめる。やがて、盛子の所領が後白河院に没収され、院は関白基房(細川茂樹)と手を組み、平家の力をそごうとしはじめる。平家では病の重盛の代行で、ついに時子(深田恭子)の第一子・宗盛(石黒英雄)が一門の棟りょうとなり、京を任される。そして、重盛は42歳の若さで病死。後白河法皇は、すぐさま重盛の知行国を没収する。福原でその知らせを聞いた清盛の後白河院への怒りは、頂点に達する。

by shingen1948 | 2012-11-17 05:44 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)