地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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磐椅(いわはし)神社~表参道へ

 ここには、土津神社の方から来たのだが、神社前を通る道筋が表参道かなと思えたので、そちらを進めば抜けそうかなとの勝手な思い込みで山麓まで進んでみたら、大きな墓地と大山祇社のあるところで、車が通れる程度の道筋は消えてしまう。そこから戻ったというお粗末。
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 表参道らしい道筋の神社近くに「植物学者:長尾景巌先生生家」という石碑があって、その脇に一軒の民家がある。その敷地の出入り口らしい付近に「西峯遺跡」の案内板が建っている。読めば、縄文遺跡らしい。
 町指定遺跡
 西峯遺跡
 昭和52年3月31日指定

 磐梯山麓の南側斜面、標高570m前後緩傾斜地に立地し、磐椅神社の表参道を中心とした推定東西200m、南北300mに広がる縄文時代の遺跡である。
 過去数十年にわたり土の表面から土器片や石器が多数採取されていたが、昭和44年(1969)から4回にわたる発掘調査によって、縄文時代中期の複式炉をもつ竪穴住居跡や中・後期の縄文土器、石器(石槍、石斧、石匙、石錐、石箆、石錘、磨石、たたき石、石皿ほか)、土偶、土板、石偶などの貴重な考古資料が発見されている。
この遺跡は会津延喜式内社の磐椅神社境内でもある。

 猪苗代町教育委員会
 家に戻ってマホロンの遺跡検索で確認すれば、今回迷い込んでしまった範囲が、その「西峯遺跡」ということらしい。(マホロンの遺跡紹介では、未調査とされる)
 その迷い込んだ辺りを思い出してみれば、高まりの峰にあたる部分の道筋で、地図と照らし合わせてみると、引き返した地点が愛宕後の二つの墓地あたりらしい。ここが表参道だったらしいことも間違いなさそうだ。
 抜け道がなくてつい慌ててしまったが、もし落ち着いて、南側を眺めれば表参道の鳥居が見えたはずらしい。情報として、表参道に石畳もあったらしいが、これも見逃している。
 これも行きあたりばったりおもいつきの散策のせいかな。

 「猪苗代の野仏(猪苗代地方史研究会)」に、引き返した辺りの墓地にあったらしい「六地蔵」の情報を見つけた。
 六地蔵
 小舘(西飯坂)の墓地の中ほど、西側に建っている。
お盆のお墓参りには持参の団子を自分の願をかける頭や脚などに張り付ける。
銘文に「吾妻山行法寺為2世安楽也宝永7年(1716)康寅6月15日」とある。
2世安楽は、成就院の修行僧であり、成就院で還化した行法寺金生人の建立である。上人の墓も側にある。
 六地蔵それ自体の形状は伊達で見たものと変わりない。
 気になったのは、「成就院の修行僧」というあたり。「調査を終えて」という項には、以下のようなこの院とのかかわりで地元の方の恐れおののく表現が、……。
 「見祢「成就院」:吾妻山の研修洗礼の場所と聞く不動尊」
 「―カメラにおさめると目がつぶれるという……」
 「―御神体を出そうとしたが手が震えてどうしても出せなかった……。」
by shingen1948 | 2012-11-16 05:30 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)