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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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見祢の大石④~磐梯山の噴火活動の特徴とかかわって②

 見祢の大石の運ばれ方の説明に、岩屑なだれ(岩なだれ)にのってというのと、火山泥流でというの二つがあって気になったのだが、確認すれば、主として岩屑なだれ(岩なだれ)にのってきたということだろうが、長瀬川下流地域を襲った火山泥流とも重なり、こちらの影響も受けたとも思われるということかな。
 案内板では、磐梯山の特徴的な噴火活動にかかわる被害を中心に説明され、見祢の大石は、その崩壊した山体の岩屑流にのって運ばれてきたものということにしたということのようだ。
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 集落を抜けて直ぐの細道を右に折れて少し南下すると、南無阿弥陀仏の供養塔があった。頭には、磐梯山と見祢の大石の横からの眺めのイメージが浮かんで振り返ってみたいと思った頃。
 これを写真におさめようとしても、風景が大きすぎて入り切れない。それなのに、供養塔も入れようとこだわっているのだから収まるはずがない。
 この塔の建立は、大正6年10月であり、磐梯山噴火とはかかわりはなさそうなのに、何故こだわったのかは自分でも分からない。

 このイメージを写真におさめたければ、見祢の大石越しに磐梯山を狙えばよかったのかなと思うが、元々が計画的な旅行ではなく、用事のついでに立ち寄った思いつきの連続での事。ここに磐梯山の東斜面が写り込むことで満足もしている。
 大石は、ここを見祢の集落に運ばれていったということかと想像を整理する。

 しかし、地元の方にとっては「爆発が北に横向きに抜ける」以前から磐梯山の噴火活動に晒されていたということでもある。
 「7月15日の午前7時頃に地震が発生し、それが次第に強くなって、7時45分に噴火を開始した。大きな爆発が15回から20回くらい引き続いて起こっている。そして、その最後の爆発が北に横向きに抜ける」ということ。
 このことについて、「福島県の歴史散歩」の「磐梯山噴火と磐梯高原の湖沼群」の項では、以下のように解説する。
 爆発性の強い水蒸気爆発は、火山灰、火山礫、火山弾などがまじった噴煙を噴き上げ、山麓一帯は暗夜のようになったという。この爆発による被害は、戸数463戸、内埋没45戸、全壊47戸、被害者2891人、うち死者477名で、被害面積1万1032haに及ぶなど甚大であった。
 水蒸気爆発は、火山灰、火山礫、火山弾などがまじった噴煙を噴き上げたとのことで、自分がイメージしていたのは、「この爆発による被害」のようだ。その被害のイメージは、火山灰と噴石によるものかな。特に、大きな噴石なら、建物の屋根を突き破る破壊力を持つだろうし、小さなものでも、人に当たれば人命にかかわることもあるはず。
 しかし、ここでいう被害は、自分がイメージする「この爆発による被害」ではなさそうだ。被害説明のうち477名の死者と説明されていることから、その後の現象も含めた噴火による全体的な被害だと思われる。
 被害としては、この爆発による直接的な被害は、爆風と火山灰というイメージに限定した方が、現実に近いのかなと勝手に思う。
 なお、北陵の山崩れについては、以下のように解説されている。
 崩壊した山体は岩屑流となり、時速80㎞の速さで北斜面を流下、このため秋元原・細野・雄子沢の3部落40戸は全戸埋没し、216名が死亡した。

by shingen1948 | 2012-11-13 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)