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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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見祢の大石②~山体崩壊と岩屑なだれ現象とのかかわり

 磐梯山ジオパーク協議会の案内板では、この石の現在の見た眼よりも巨大であることをアピールする。当時の写真を掲げ、露出している部分は、この写真当時の3分の2ほどだとする。
a0087378_422863.jpg
 噴火直後、巨岩の周りで人々が作業をしている様子を、岩田普平(当時喜多方在住)が撮影しています。
写真の巨岩が、現在ここにある「見祢の大石」です。
 この石は、長さ8.2m、高さ3.1m余りの巨大なものです。自らの重量で年々沈下し、現在露出している部分は、当時の3分の2ほどになっています。
 石の大きさが両方の案内板で違うのが、測定誤差か、風化か、それとも自重で沈んだせいなのかは分からない。

 家に戻って、磐梯山の噴火活動について確認する中で見つけたのが、中央防災会議 読み切りシリーズ「過去の災害に学ぶ」第五回「1888年磐梯山噴火災害」(2005年11月号)のページ
 http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/kouhou030_18-19.pdf
 1888年磐梯山噴火災害の概要は、以下のように説明される。
 福島県猪苗代湖の北に位置する磐梯山は明治21(1888)年に爆発性の強い噴火活動を起こした。この活動では山体が崩壊して北側の集落が埋没し、死者477名をだす大災害となった。
 この噴火活動(磐梯山の噴火活動)は、近代日本を襲った最初の大規模な自然災害であって、明治政府は国をあげて調査、救済、復旧活動を実施した。
 磐梯山噴火は、会津という地域の出来事ではなく、国として取り組むべき災害だったということらしい。こちらは純粋な自然災害だが、これって状況としては、今と重ならないかなとも思えてきた。

 注目したのは、この噴火活動を現在の火山学の観点から見た以下の特徴の説明。
 現在の火山学でみると、水蒸気爆発型の噴火自体は火山活動として珍しいものではないが、それに伴って発生した大規模な山体崩壊と岩屑なだれは、米国セントヘレンズ火山の1980年噴火での同様な活動で、初めて注目された。その後の研究で、大規模山体崩壊の現象は、成層火山を形成する安山岩質マグマの火山(日本にもっとも多い火山)では、数10万年間の形成史において数回程度の発生頻度があることがわかった。
 つまり、「見祢の大石」を運んできたような火山活動に伴って発生した大規模な山体崩壊と岩屑なだれは、数10万年間の形成史において数回程度の発生頻度でしか現われない世界的にも珍しい火山現象だったということかな。

 その観点で、磐梯山ジオパーク協議会の案内板の説明に戻ってみれば、掲げられた写真は、石の大きさを表してもいるが、それより注目すべきは、その世界的にも珍しい火山現象で運ばれた状況を語るものという事でもあるということかな。
 確かに、「見祢の大石は岩なだれが予想外の遠距離までこれほどの巨岩を運ぶという事実を示すことから、学術的に貴重なものとされ、1941(昭和16)年に国の天然記念物に指定されました。」という解説がある。
 分かったのは、こちらにつなげて読み取ることが大事だったらしいこと。

 なお、「このような巨岩は見祢の大石だけではなく、上流の琵琶沢地域に今でもいくつか点在しています。」とあるところを、これが猫石伝説とかかわるのかなというのは、今のところ勝手な想像。
by shingen1948 | 2012-11-11 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)