地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「平成24年度梁川城現地説明会」に出かけた時のよそみ

 指定された駐車場が、梁川プールで、ここから発掘現場に向かう途中、梁川中学校の向かいのプレハブ建物が、梁川小学校と表示されているのを見た。
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 家に戻って確認すると、梁川小学校は2011年3月11日の震災で使用不可となったことで、子供達は梁川中学校、梁川高校にわかれて学んでいたということらしい。それが、2012年2月になって、この仮設校舎への引越しをしたという状況のようだ。

 詳しく確認すると、震災直後は、梁川中学校に校長室と職員室を置いた上で、富野・五十沢・白根・山舟生小学校などの空き教室を活用して授業を再開するという計画もあったようだ。
 そんな中、原発事故によって学校敷地の放射能に汚染された表土の仮置き場という新たな問題が派生する。梁川の学校は、梁川城の史跡に建つ。特に、小学校は梁川城本丸の史跡になっているために埋設できないという状況となり、2011年11月には、幼稚園・仮校舎建設地・小学校・中学校の表土を、小学校校庭にコンクリート壁で囲って置くことになるという。
 しかし、3月には、仮置きされた汚染された表土をどけて、卒業式を旧小学校体育館で行ったとか。

 以下は、2012年2月に、この仮設校舎への引越すことを報じる「KFB福島放送(2012/2/28)」の情報。
 伊達市の梁川小は、27日から梁川中に隣接する仮設校舎で授業を開始した。2カ所に分かれて登校していた児童にとって待望の校舎。全校児童492人が久しぶりに一堂に会し、全校集会が開かれた。約11カ月間、梁川中と梁川高の校舎に間借りして授業を行ってきた。高校生のじゃまにならないよう、2階の奥の教室に行くときもいったん3階に上がり、廊下を通って再び2階に下りていた。また、6年生は2教室に3クラスが入り、カーテンで仕切って授業した。児童は「机がぎっしりで、通るのに苦労するほどだった」と話す。体育は挌技場で行った。仮設とはいえ、真新しい校舎に児童は大喜び。「みんな一緒に通えてうれしい」と笑顔を見せた。

 なお、震災に伴うこれら一連の動きの前に、2009年7月には、梁川小学校校舎の老朽化に伴う改築・移転のための検討委員会が設置されるという状況の中で、これ等震災に伴う状況が重なったという事でもあるようだ。
 その移転計画の背景には、現在地が梁川城本丸跡であり、福島県指定史跡を受けている史跡であることとかかわるようだ。市(町)では、ここから小中学校を移転させていく方向性で、梁川中学校が新築移転が完了しているという状況下だったらしい。それが、今回の大地震のために、その計画を早めざるをえない状況になったというような経緯もあるらしい。
 その開校予定が平成28年度とのことだが、市の提案する蚕業試験場跡地という場所をめぐって、防災の観点からいろいろな問題提起もされているらしい。ただ、学校、特に小学校には、その町の精神的な中心を形成する機能も持ち合わせている。表面に現れていないこの町の精神的な中心を形成する機能の移動に関する抵抗感のようなものもあるのだろうなと想像する。
 歴史ある街が、新たな街づくりに挑戦するための悩みは、深そうだな。
by shingen1948 | 2012-10-24 05:20 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)