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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第40話「はかなき歌」

 この時代についての親しみは、親父の年代の人々に比べると数段に薄い。その一つの理由は、この年代の方々は、講談とか琵琶法師等々で物語を聞きかじっているその差。それが史実かどうかは別にして、この年代の方々が、この時代にも親しんでいるのは事実だ。もう一つが、遠い所、遠い時代の権力闘争の話という感覚もある。
 視聴したドラマに描かれる事をもとに、この時代について確認しているのは、その劣等感なのかもしれない。

 最近のこのドラマの描写は、言い伝えに近いらしい。
 承安4年(1174年)3月、清盛は、後白河法皇と建春門院滋子を嚴島神社に招く。福原からは清盛が用意した宋船であっただろうと。後白河院は建春門院を旅行によく同伴しているが、これらも前代未聞の事らしい。これにより厳島の権威が飛躍的に高まったとするのは、「坂の上のサインボード」のサイト。

 安元2年(1176年)年、後白河法皇の50歳の宴が3月4日から6日にかけて法住寺殿で催される(安元の御賀)。この宴で、平氏一門は祝いの楽や舞などを献上したが、これが、後白河院と平氏の協力関係を誇示する最後の行事の位置づけ。
 というのは、後白河と清盛ら平家一門との微妙な立場の緩衝的役割を果たしていた滋子が、その年の6月8日に発病し、7月8日には34歳の若さであっけなく亡くなるからだ。これで、政局が混迷に向かうことになり、平氏滅亡への序曲ともなっているからだ。
 病名は二禁とされる腋の「おでき」のことらしいが、敗血症に進展したとか、癌だったとか諸説みる。
 なお、この年の6月から9月までの3箇月余の間に後白河院の近親者で天皇・院号を持つ方が次々に亡くなられたことで、先の平成まで続く崇徳院の怨霊が意識されるようになったのは、この頃からだとも。

 翌年3月に、後白河院は恒例になっていた和田浜の千僧供養に参加するが、後白河院としては、建春門院の菩提を供養するためで、自身の意志で福原に行幸したのはこれが最後とか。この年、「鹿ヶ谷事件」が、……。ドラマでは、これらの伏線として、怒りを募らせた西光が「平家憎し」で義弟の成親と結託する話を挿入していた。
 題の「はかなき歌」は、後白河院が「梁塵秘抄」の編さんにいそしんでいたこととのかかわりかな。

 第40話「はかなき歌」の要点をエキサイトドラマ特集「大河ドラマ「平清盛」よりお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_40.html
 「はかなき歌」 
 1174年、大輪田泊では亡き兎丸(加藤浩次)が夢見た日宋貿易が始まっていた。そして清盛(松山ケンイチ)は、国のための神となるよう、安芸の厳島神社に後白河法皇(松田翔太)と滋子(成海璃子)を参詣(さんけい)させる。そんな中、後白河法皇の側近貴族・西光(加藤虎ノ介)と成親(吉沢悠)は、平家の権勢ぶりに警戒心を強めはじめていた。滋子(成海璃子)は、ふたりを呼び出し、これからも後白河と平家の仲をとりもつようにと諭す。後白河は滋子との愛を確かめながら、「梁塵秘抄」の編さんにいそしんでいた。が、安元二年7月、すべてのバランスを保っていた滋子が、35歳の若さで世を去り、再び激動の世を迎えようとしていた。その頃、伊豆では源頼朝(岡田将生)と北条政子(杏)が、ゆっくりと愛を育みはじめていた。

 視聴率は、前回第39話が、9.7%で、今回第40話が、9.6%とか。38話で14%に跳ね上がったのは、矢張り台風情報のせいかな。
by shingen1948 | 2012-10-20 06:10 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)