人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

伊達駅舎~福島の建築45

a0087378_4452152.jpg 伊達駅は、明治28年(1895)4月1日 日本鉄道の長岡駅として開業する。当時、福島駅―桑折駅間の駅として、その候補地としては、瀬上付近があがっていたが、瀬上地区が消極的で、長岡村の要望が強かったという状況から、こちらになったという経緯があるらしい。
 長岡駅の名称が、伊達駅に改称するのは、大正3年(1914)とのこと。長岡駅の名称は、長倉村と岡村の合併により、長岡村となった事によるものだが、全国的には、新潟越後の長岡駅との混同を回避するため、主要駅と中間駅の相違から、こちらを伊達駅に改称されたとか。もう一つの説に、駅勢圏が伊達郡に広がったので、郡名をもとにするようにしたというのもある。
a0087378_4472238.jpg
 駅勢圏の広がりに大きく影響したのが、明治38年に、大日本軌道株式会社福島支店が進出して、長岡村を基点として、十綱、梁川に至り、大正4年12月に川俣まで延長されたことのようだ。大正6年9月より信達軌道株式会社を創立経営となり、それが福島電鉄、福島交通株式会社となっていく。
 軌道が開設され軽便鉄道が設置される経緯を確認するのに、いつもは福島市の視点で見ているが、今回 は、伊達駅の視点で見直しているということに。
 明治41年4月福島駅前―長岡間、長岡―飯坂間開通、7月長岡―保原間開通。
 明治43年6月には、保原―梁川間が開通。
 その後、大正9年保原―桑折間が開通、大正15年に全線電化、保原―桑折間は、川俣―掛田間と共に廃止。昭和42年9月聖光学園前―湯野町廃止、昭和46年4月、全路線営業廃止となる。
a0087378_448238.jpg
 現在の駅舎は、昭和14年(1939)に完成。上屋184㎡・集札上屋226㎡・車寄せ10.8㎡で、改築費用は2万円を上回ったとか。
 駅舎の造りは、霊山神社を型どり、飯坂温泉の浴槽をイメージしたとか。
 それで、駅舎の外側の石積みの石は、摺上川の河原石にこだわったとか。

a0087378_452293.jpg  ここが待合室だが、内側のタイル張りは、温泉をイメージしたものとか。
 創建当時は、待合室の天井板もケヤキのベニヤ板だとか、建て屋が高いので左官屋さんの事故があったりしたとか。


a0087378_4573256.jpg これは、 本当は駅内プラザを撮影したものだが、確かに天井まで写っているのは、これだけだ。意識していなかったが、いわれてみると確かに天井が高い。
 平成14年(2002)木造武家造の駅舎を有することを理由として、東北の駅百選に選定されたとか。


a0087378_512327.jpg
 伊達駅の電信電話施設や電報にかかわる情報を掲げてみたのは、公衆電話22番の表示を見つけたから。
 ● 大正7年4月1日 電信 福島仙台1番線音響機単信式
         電話 福島白石線 壁掛 電話線第3項の○り変更
 ● 大正8年2月21日電話 公衆電話22番 壁掛
 ● 大正11年9月10日電話福島交換桑折線 壁掛 司令電話線 壁掛け
 以下略すが、その名残が、今も残る。

 この駅舎改築に伴い、先の駅舎は桑折駅に移築されたのは、先に整理した通り。
 伊達駅を中心に見れば、この建物になる前の建築物が桑折駅に残っているとも見ることもできる。
 その視点で整理すれば、明治28年に開業、大正9年10月増築、大正12年4月2.3等待合仕切り撤廃。

 桑折駅でも整理した駅舎内にコミュニティスペースが併設されたようだが、現在は、直売所になっているようだ。

 ※ これらの情報は、主として「心のふるさと 伊達駅90年史【渡辺喜作著:1989/3/30】」による。著者は、昭和16年(1941)桑折駅入社、福島駅転入、昭和21年(1946)伊達駅で退職の経歴の方のようで、その経歴から、両方の駅に想いを寄せられる方の不都合はない情報と判断した。
by shingen1948 | 2012-10-16 05:20 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)