地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

旧道諸説⑥~桑折付近の東山道の道筋

 桑折駅からの帰り道は、旧道諸説の中の桑折付近の東山道の道筋を確認しながら戻る。「大木戸付近通過を想定する東山道の道筋~旧道諸説⑤」の続きだ。
http://kazenoshin.exblog.jp/16480038/
a0087378_548899.jpg
 ここの、「次の桑折宿付近も同様で、この宿を直線で越えて奥州街道に結べるような道筋を描くことになって、おおよそ奥州街道と重なるような道筋を描くようになる。」という部分が、駅前の案内板をお借りして図示すると、こんな感じかな。

 この線とクロスするのが、桑折寺あたり。そこまでの道筋は桑折駅と奥州街道桑折宿の間を想定するが、道筋が残っている訳ではない。
 要は、駅前の通りを戻るしかないのだが、桑折駅と奥州街道桑折宿に焦点を当てると、意識から遠ざかる隙間ができて、何の特色も無い駅前の通りが、意識の中では、想像の世界が蘇るような新鮮さ。
a0087378_5515538.jpg
 奥州街道が桑折宿を過ぎて直線に戻る付近から、桑折寺を振り返る。この奥に、古道を想像するのだが、 ここから、奥州街道と重なって東山道を描く道筋も、桑折町の一里壇から堀切端付近までだ。

a0087378_5543251.jpg
 ここからみえる風景が、一里壇―堀切端付近なのだが、ここから旧道諸説の多くは、一度東湯野の字山道辺りまで西進するように描く。
 東山道は直進が原則と聞く。それなら、信夫山を回り込むために東側にずれた道筋はそのまま直進すれば奥州街道と重なったままとみてもよさそうに思う。しかし、諸説の多くは、東湯野を経由するように描くのだ。
 信夫山を回り込むために東側にずれた道筋を戻そうとして描いた道筋が、再び国見越えのための道筋に変わる変換地点が東湯野から一里壇―堀切端付近の東西に走る道筋と見ればいいのかな。
a0087378_5571398.jpg
 ここも実際の道筋はなく、しかもその視野の方向には新幹線で視野が遮られている。
 近くの道筋を進んで、その新幹線沿いの道筋を進んで振り返れば、こんな感じ。この奥の一里壇から堀切端付近まで、古道の道筋を想像するのかな。
 左手に、最近野球で頑張ったらしい聖光学園の校舎が見える。
by shingen1948 | 2012-10-15 05:59 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)