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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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桑折駅舎<旧長岡(ながをか)駅舎>~福島の建築44

 今回の震災で、市内の散歩を楽しむ目標としていた建物が殆ど消滅した。それで、もう気になる建物や話題になる建物も無いと思ったので、「飯坂散歩~堀切邸」に番号をふらなかったが、これが、「福島の建築43」。そして、今回の「桑折駅舎」が「福島の建築44」
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 桑折駅は、明治20年(1887) 開業で、伊達郡内の駅では最も早く開業。
 福島駅で下車した正岡子規も、市内に一泊して巡って、人力車で飯坂に向かい、ここで2泊(かな?)して、飯坂からは、また、人力車でこの桑折駅を目ざし、途中松原の茶屋に立ち寄り、一服した後、この桑折駅から塩釜に向かっている。
 現在の駅舎は切妻屋根のどこか懐かしい感じがするのだが、昭和15年改築とのことで、子規の見た駅舎とは遠く及ばず、目立った特徴を備えた建造物でもないらしい。
 そう思っていた。

 ところが、何気なく隣の伊達駅を確認していて、この建物は、明治28年(1895)頃の駅舎の雰囲気を残す建物なのではないかなと思えてきた。懐かしい感じがしたのはそのためだとも。
 それなら、子規の見た駅舎よりは、2年ほど新しいもののそれほど遠いイメージではないのかもとも思えてきた。
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 ということで、まずは、隣の伊達駅とのかかわりを整理してみる。
 隣の伊達駅は、昭和14年(1939)に 現在の駅舎になり、これが木造武家造の駅舎を有するということで、平成14年(2002)東北の駅百選に選定されて華やかだ。今回、注目したのは、そちらではなく、その時に取り壊された駅舎の方だ。
 それが、桑折駅に移築されたということらしいという事。伊達駅舎取り壊しが、昭和14年で、桑折駅舎改築が昭和15年という事で、公式の建築時期も合う。
 少なくとも桑折駅は、地味に明治28年(1895)開業当時の伊達駅の雰囲気を残す建物という事になるのでは、……。その時期は、伊達駅は長岡(ながをか)駅だった。

 この桑折駅舎に派手さはない。ということは、その地味さは、当時の駅舎としてはごく普通の建物という事にならないかということ。
 それなら、2年の経過がそれほど大きな変化になりえず、大小に多少差はあっても、子規の見た駅舎に近いイメージなのかとも、……。
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 現在の桑折駅と、伊達駅時代の創建当時と大正9年10月改築時の配置図とを見比べると、増改築されて模様替えし、三(参)等待合室と1.2(壱弐)等待合室の仕切りが撤廃された状態と似ているのかなというのが、勝手な想像だ。

 もう一つ懐かしいと感じるのは、駅の機能として必要な駅長室とか出札口とかという空間を残して、縮小された手小荷物・貨荷物・電信扱所などの機能分の空間を使って、拠り所を表現する機能を付加したところなのかもしれないとも思う。
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 残念ながら、当方にその価値を表現する力がないが、駅舎は単に列車の停留所としての機能だけではなく、その町の精神的な中心を形成する機能も持ち合わせているように思う。何となく立ち寄ってみたくなる機能、それも懐かしい感じを漂わせているのかも知れないとも思う。
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 なお、古さなら、この煉瓦の危険物庫は、明治20年(1887)に 伊達郡内の駅では最も早く開業当時からのものではないのかなと思う。

 桑折駅をここにつくるか、もっと睦合村近くにつくるかでもめた歴史もあるらしい。鉄道にかかわる建物には、時々、地元の<譲り合う>姿が見えけられる。それは、旧来の中心と、新しい中心とのせめぎ合いだったのかもとも、……。
(以下2012/10/16付加)
※ 煉瓦の危険物庫としたのは、「心のふるさと 伊達駅90年史【渡辺喜作著:1989/3/30】」にある記事から、油倉庫らしいことが伺える。同書では伊達駅のものについて述べているが同じものと思う。レールやポイントに使う油を貯蔵するもので、当時現役とあるが、現在も現役であると想像される。
by shingen1948 | 2012-10-14 06:31 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)