「平清盛 日宋貿易にかけた夢」視聴記録③と大河ドラマ「平清盛」
2012年 10月 12日
実際に視聴したのは、「中国へ」からだが、少し見逃した部分は、「仏祖統紀(ぶっそとうき)」という中国に残る資料に、清盛の時代、日本からの使者が明州にやって来たことが記されていたという紹介部分。その人物が、後に奈良の東大寺を再建したことで知られる僧侶、重源で、重源が宋に渡った翌年に、栄西も明州に入ったとのこと。国交が途絶えていた中国に日本の僧侶が渡るのは、80年ぶりだったとか。
実際の視聴は、「栄西入唐縁起」(栄西自ら記録)から、850年前に中国に渡った重源と栄西の二人の足跡をたどるあたりから。大河ドラマ「平清盛」とのかかわりでは、第37話「殿下乗合事件」の清盛は後白河法皇を福原に迎え、宋人と面会させる(1170年)ことかな。このあたりの事情は、創作された元海賊兎丸も知らなかった世界の想定だろう。
まずは、仏教聖地のひとつ、天台山。 天台山の山中には多くの寺が点在しているが、重源と栄西が訪れたのが、国清寺(こくせいじ)とのこと。重源と栄西はここに数ヶ月滞在し、座禅や読経など、日々修行を重ねたとの伝え紹介。
次に、その天台山の奥地の頂上近くにひっそりとたたずむ万年寺にも、1168年、仏教を学ぶために栄西が訪れたと言われていることの紹介。そこには、栄西の絵もある。栄西は修行を重ねて中国仏教界に認められて、日本に帰る時には、当時の新しい仏教の経典、60巻余りを持ち帰られたとか。
中国の研究者は、この重源と栄西の修行を清盛の命を受けて中国との外交を築くために送り込まれたことと考えているらしい。名のある日本の僧侶が中国にやってくることは、自然なこと。僧侶は色々と制約を受けることなく、自由な行動が許される。これを利用したのではないかということのようだ。
それで、その証拠があるという阿育王寺が紹介される。
阿育王寺は、古くから釈迦の遺骨を祀る聖地として知られ、当時の皇帝が最も信仰した寺。その仏教を篤く敬った皇帝が孝宗で、彼はまた、日宋貿易実現への大きなカギを握る人物でもあったという。
「攻媿集」という資料に、この阿育王寺舎利殿の建設に使われる大切な建築用の木材が、日本から運ばれたという記載があるという。清盛の時代に、日本から中国へ木材が贈られて、阿育王寺の舎利殿が建てられたということは、清盛が孝宗に取り入ろうとした証拠なのだとか。
重源と栄西はこの舎利殿を建立するに当たり、日本の最高級の木材を送ることを約束し、連絡を受けた清盛を中心とする日本の朝廷は、すかさず木材を阿育王寺に送り、舎利殿の建立に大きく貢献したと推測するようだ。
仏教に深く帰依していた日本の最高権力者、後白河法皇。そして、中国の皇帝、孝宗。両国のトップを、仏教を通じて向き合わせることで、国対国の日宋貿易を作り上げていったということ。これが、大河ドラマ「平清盛」第37話「殿下乗合事件」で描く、重源と栄西の帰国から2年後に中国から日本へ待望の使者がやってきて、後白河法皇を福原に迎え、宋人と面会させる場面に結びつく。
これは清盛の構想で、この中国とのコネクションを元に、正面から中国とつきあうという体制を作り出して貿易を盛んにするというのが、かなりの高等戦略とみるようだ。