阿津賀志山防塁第11次発掘調査現地説明会(高橋地区)④
2012年 10月 07日

この図の第3トレンチについて確認して、その北側の圃場整備時の地形改変によって遺跡が完全に消滅した部分を挟んで、現存する高橋地区阿津賀志山防塁にどうつながるかを整理したい。

これが、第3トレンチの部分を西側から眺めたところ。奥に、土塁の部分が見えるが、その手前が、堀跡の部分とのこと。

堀跡についてだが、堀底幅約1mで断面逆台形状(箱薬研堀)の痕跡とのこと。
土塁は、黄褐色・暗褐色・赤褐色の3種類の積み土を確認し、最大で幅5.5mの土塁痕跡である事が判明したとか。

これは、逆に第3トレンチの東側から見ているのだが、ここが土塁の端のあたりらしい。端線は、かく乱があるものの、この辺りが東端である事は確認できる。
それより気になるのは、土器の破片が埋まっているのが見えること。
資料を確認すると、根による撹乱部分を堀上げたところ、防塁の積土下層に、古墳時代(5世紀?)の竪穴住居跡が埋まっている事が判明したとある。

そのことを意識して、第4トレンチの方向から第3トレンチの付近を横に眺めてみるとこんな感じだ。

ここから現存する高橋地区阿津賀志山防塁にどうつながるかを確かめるのに、第4トレンチ方向から第3トレンチの土塁の端の位置を通して、現存土塁を眺めるとこんな感じだ。
こちら側の方向にも、土塁の痕跡のつながりを示す方向に、竿が指されている。それを目印に、右手の高まりを意識しながらが、現存土塁を眺めそのつながりを意識する。
この間に、圃場整備時の地形改変によって、遺跡が完全に消滅した部分を挟む。