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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~ 第38話「平家にあらずんば人にあらず」

 今話の主筋としては、清盛の娘徳子の入内を画策する話だが、多くの筋が重なりあっている。
 その一つは、題の「平家にあらずんば人にあらず」自体の筋。
 ドラマでは、第37話「殿下乗合事件」で登場した「禿童」を町中に放つのは、時忠の仕事と想定している。清盛の国づくりに異を唱える者の情報を「禿童」から得て、これを容赦なく断罪する仕事とからめて、この言葉に結びつける。
 次に、第35話「わが都、福原」とのかかわり。
 宋船を福原に直接入港させるための大輪田泊(おおわだのとまり)の改修工事の話が重なる。
 更に、ここに源氏方の動きをちりばめる。
 その一つが、伊豆の頼朝で、頼朝の「わが身は滅びても、源氏の魂は断じて滅びぬ」という言葉を聞いた政子の動きを描く。もう一つが、鞍馬寺で修行している遮那王が、僧都の使いで都に行く途中、五条大橋で武蔵坊弁慶と出会う話。

 主筋の清盛の娘徳子の入内を画策する展開とかかわる話は、建春門院(滋子)初めての福原行啓。
 この後白河法皇の福原行幸は、承安元年(1171)10月23日、後白河法皇が建春門院と公卿6人、殿上人10人を従えた訪問だったとか。ドラマに描かれた通り、行幸の目的は、清盛と時子の娘・徳子を高倉天皇に入内させる懸案を話し合うためで、滋子の行啓は高倉の母として結婚問題の話し合いに同席するためとか。
 徳子の入内は、『愚管抄』では、清盛が「帝ノ外祖ニテ世ヲ皆思フサマニトリテント」という望みを抱いたとする。
 後白河としては、清盛の影響力が大きくなられては困るが、政権維持に清盛の力は欠かせないというジレンマがあって、決断させたのは滋子。我が子高倉天皇の安泰のため、清盛と後白河との対立を回避したかったという母親の立場かな。

 ドラマでは、清盛は有能で忠実な臣下であることのアピールを表現として、清盛が後白河院に宋から輸入した羊五頭、麝鹿一頭の珍獣を献上すること、更に清盛が本拠地である福原を後白河に寄進したという話を取り上げる。福原寄進の話は、「愚管抄」の「福原と近辺の荘園3箇所が後白河院の御領になった」との記事とかかわるらしい。
 ドラマでは扱われなかったが、後白河法皇の福原行幸の時に、後白河が清盛に馬2頭を贈った話の対応があるらしい。清盛は庭に降りて馬の手綱を取り、重盛・宗盛に渡したとか。これも、後白河が主人であることを示し、清盛の臣従の表現とか。

 その後、清盛が退隠者なので、徳子は平家家長という公式地位の重盛の猶子となる等の手続きがあって、徳子が入内。こうして、清盛は、天皇の外戚の地位を獲得することに成功するのだが、ドラマを通じることで見えるのは、清盛といえどもこれは容易でないことだったということ。清盛側からみると、処々の関係性を組み合わせた巧みな策略だが、その結果を、高倉天皇から見ると、高倉天皇元服したての10歳で、徳子16歳。6歳上の従姉(徳子と高倉は母方の祖父が同じ)が妻。

 第38話「平家にあらずんば人にあらず」の要点を「エキサイトドラマ特集『大河ドラマ平清盛』」からお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_38.html
 「平家にあらずんば人にあらず」
 1171年7月26日、清盛(松山ケンイチ)は、宋から得た羊を後白河法皇(松田翔太)と建春門院(成海璃子)に贈り、2人を福原に招く。それらさまざまな行いが功を奏し、清盛はついに高倉天皇(千葉雄大)に娘・徳子(二階堂ふみ)を入内させ、絶頂期を迎える。その一方、検非違使別当でもある時忠は、平家の悪口を言うものを報告せよと町に「禿(かむろ)」を放つ。ある席で時忠(森田剛)は「平家にあらずんばひとにあらず」と平家の繁栄を表わす。それと同じころ、京・五条大橋では鬼若(青木崇高)がひとりの少年と出会う。それはかつての鬼若と深いかかわりをした少年であった。

by shingen1948 | 2012-10-05 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)