地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿津賀志山防塁第11次発掘調査現地説明会(高橋地区)②

 今回の高橋地区の発掘調査は、良好に土塁が残る国の史跡指定地以外で防塁の位置を確認するため4ヶ所の調査区( トレンチ) を設定し発掘し、その結果、第3・第4トレンチから堀跡一本( 推定幅6m ) と、土塁の痕跡を確認したとのことだ。
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 個人的には、「阿津賀志山防塁の実感を求めて」参加させていただいているので、次の点で満足。
 その一が、第1・第2トレンチで「良好に土塁が残る国の史跡指定地」の状態に納得した事。
 次に、第3・第4トレンチで確認できた堀跡一本( 推定幅6m ) と土塁の痕跡をつなぎ合わせて、阿津賀志山防塁の連続性が実感できたこと。
 更には、先に下二重堀地区の防塁も確認しているのだが、この高橋地区の防塁と連続的にイメージ出来ていなかったのだが、その連続性が実感できたこと。

 まずは、第3・第4トレンチで確認できた堀跡一本( 推定幅6m ) と土塁の痕跡の確認が出来たということについて整理する。概観すると、第3トレンチで、堀とその西側の土塁の状況と東側の高まりのかかわりが確認出来て、第4トレンチで堀跡と土塁の痕跡が確認できたという事らしいと捉えている。
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 これが、その第4トレンチを西側から眺めた図だ。
 堀跡は浅く小規模だが、その向こう側(東側)に2~2.4mの土塁積み土が残る。ここを上部が無くなった土塁跡と考えるようだ。
 なお、この堀跡の右側(南側)からは、土師器・須恵器・瓦(布目)・縄文土器等が出土したという。

 この第4トレンチの堀の方向だが、北端部分は、北西―南東に走り、南端部分は北―南に走るとのことだ。これは、個人的な興味である阿津賀志山防塁の連続性の実感とかかわる事。
 図では分かりにくいが、目にする風景は、町道の東側は高まりになっている。町道は、その丘の縁に沿って走っているという感じなのだ。要は、その周りの風景が阿津賀志山防塁の連続性とかかわるということらしい。それを、平面では、点線で消滅した阿津賀志山防塁として表現されている。
 第4トレンチとその平面図と目にする風景とのかかわりを確認する。
 風景は、北方向には、町道沿いの崖縁が北西方向に延び、また南方向には、町道沿いの崖縁が北―南に延びると共に、県道五十沢・国見線南側の東側に延びる滑川沿いの段丘が位置している。
 これ等を考慮して、図示されたものを見れば、第4トレンチの位置から南方向の防塁は、滑川沿いの段丘の方向に東に曲がり、屈曲しながら、下二重堀地区の防塁につながるという風に想像されるらしい。

 「『阿津賀志山防塁』の実感を求めて」では、高橋地区の防塁の先に下二重堀地区の防塁延びるという事はイメージしてはいるものの、二つの位置を点としか捉えていなかった。それが、それが、線としてつながったというよりも更に三次元に近いイメージとしてつかめたというのが、自分としての成果の一つかなと思っている。
by shingen1948 | 2012-10-03 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)