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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿津賀志山防塁第11次発掘調査現地説明会(高橋地区)

a0087378_594824.jpg 防塁全体を説明する図に阿津賀志山防塁と東山道とのかかわりが示されたのを見たのは、5月26日に行われた阿津賀志山防塁第11次発掘調査現地説明会(高橋地区)での事だ。
 時期外れだが、この阿津賀志山防塁発掘調査現地説明会について整理しておきたい。

 この高橋地区を初めて歩いたのは、例によって、まずは資料もなしで手探りで歩き、それから、僅かだけ資料を手に入れて、イメージを膨らます感じで歩き、それから、手に入る資料と照らし合わせて歩くというような歩き方を繰り返していた頃だった。今でこそ、漠然とではあるが阿津賀志山防塁全体がこんな感じかなとイメージでるようになっているが、その頃はどこが遺跡なのか分からない状態だった。
 イメージがつかめない状態の中で、ここに来た時に、何となくイメージできそうなところだとホッとした記憶がよみがえる。そんな思い出のある場所だ。
a0087378_5144327.jpg
 遠矢崎地区では、防塁への案内板をみつけ進んでみるが、どこを指しているかがよく分からないまま先に進んだのだが、この高橋地区防塁を見てここにつながるという実感を得たところだ。その時に読んだ案内板も懐かしい。
 <b>「『阿津賀志山防塁』の実感を求めて」は、防塁のイメージが少しつかみかけた頃に整理したもの。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7048883/
 この頃までに、何度も国見町に足を運んでいたのだが、なかなか阿津賀志山防塁を実感としてイメージできないでいたのだ。
 そもそも、阿津賀志山防塁に足を運ぶようになったのは、会津の県立博物館でこの防塁の展示を見て、その位置関係が曖昧だったことだ。気軽に学芸員の方に訊ねたのだが、家人から、あれは学芸員の方をいじめているようで恥ずかしかったと散々言われて、仕方なしに自分で確かめるしかないと思ったのがスタートだ。
 現地を歩いてみて分かったのは、確かにこのスケールの大きなものをあの場で説明するのは難しかったろうということだ。阿津賀志山防塁③)
 http://kazenoshin.exblog.jp/7055603/
 参加させていただきながら、そんな事を思い出していた。
by shingen1948 | 2012-10-02 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)