人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

飯坂への道~旧道諸説②

 佐藤静雄氏の「飯坂道の今昔」による飯坂古道の道筋と、江代正一氏「古代道」がいう東山道(後期駅路)とが、少なくとも森合の一杯森から重なるとした。
 しかし、確認してみると、一杯森付近は大きくずれている。
 大きな違いとして、江代正一氏「古代道」がいう東山道(後期駅路)は、一杯森の西側を通るように描かれるが、飯坂古道馬道は、一杯森の東側に描かれることだが、これは先に分かっていたこと。もう一つ違がっていたことがあったのだ。
a0087378_4402053.jpg
 実際に歩いて確認している時点では、江代正一氏「古代道」がいう東山道(後期駅路)は最終的に佐藤静雄氏の「飯坂道の今昔」がいう飯坂古道の馬道と重なるというイメージで確認していた。ところが、それを整理するのに地図に落としてみたところ、重なるのは徒歩道の方のようなのだ。
 「ふたつやま公園」に掲げられる「森合史跡地図」の図をお借りして、東山道(後期駅路)を想像するらしい道筋として、黄色線を加えると、こんな感じだ。

 徒歩道が字曲松と字道下の字境に沿って右折して北進し、下谷地字境で西進すると、泉・前原線(市道)に合流するのだが、この道筋が、松川までほぼ直線に近い道筋で北進する。これが、東山道(後期駅路)とされる道筋を引いた線を延長させた線と重なるようなのだ。
 松川からは、飯坂古道は馬道と徒歩道は合流して北進する。その道筋は、やや西に傾くもののほぼ北に向かって直進する。
 二つの道筋の重なりは、「佐藤静雄氏の「飯坂道の今昔」がいう飯坂古道徒歩道が泉・前原線(市道)に合流した地点から平野字矢車の地点まで」とし、そして、飯坂古道はそのまま北進するとすれば、より正確な言い方になるのかな。
a0087378_4424796.jpg

 江代正一氏「古代道」がいう東山道(後期駅路)のこの一杯森までの道筋の想像だが、先にも記したように、江代正一氏の「古代道」が描く東山道(後期駅路)の道筋は、字名の資料等に描かれる。それで、現地を歩いてみた勘で修正を繰り返し、小字名を確認して地図に落としてみたものだ。
 その想像のポイントは、方向的には字児子塚のやや西側を結ぶ直線を意識しているということ。解説では、ここから坿屋敷(直線道路)―丑子内―街道下―一杯森という表現をしている。実際に歩く時には、一杯森の高まりが目印だ。
 なお、江代正一氏の「古代道」では、この字児子塚から郷野目村字向原まで、東山道(前期駅路)が北東に直進し、腰浜方面に向かうように描かれる。解説では、ここから坿屋敷(大森川、旧荒川の河岸段丘)斜向道路―下宿―渡利―腰の浜という表現をしている。
 旧道諸説を歩いた時点では、この字児子塚と、実際の児子塚を勘違いしていた事も、今回気づいた事の一つ。
by shingen1948 | 2012-09-27 05:20 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)