地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「信夫文知摺石」

 客人が置いて行った冊子の特集記事「現代も魅力あふれる『おくの細道』」の福島辺りは、子規の目を通した紹介になっている。
 その地点は、「白河関跡」、「信夫文知摺石」、「飯坂温泉」、「医王寺」、「塩釜神社」だが、「信夫文知摺石」の紹介には写真が無い。多分、特集記事の記者は、ここには訪れていないのだろうと思うが、ついでに整理。

  ここを楽しむのには、「信夫文知摺石」と以下の要素とのからみかな。
 ① その巨石と河原左大臣・中納言源融と里の女虎女との悲恋の伝説
 ② 「しのぶ」の言葉遊びと、信夫摺り絹

 子規の「はて知らずの記」では、①の伝説の出会いから別れのシーンまで、浄瑠璃の語りのような表現で描写して、福島宿の項を終える。そして、次の「文知摺観音から飯坂へ向かう記」を、この伝説の虎女の恋焦がれる思いからスタートさせるという構成にしている。
 その中で、次のような説明をしている。
 「遂に、満願の日の左大臣の御姿が石の面に現れる。
 孝子は石を射透し、節婦は石にも化したりというが、左大臣へその思いが通じる。
 今君の御姿を見るうれしさ、日毎ここに詣でて何を語ればいいんだろう。
 左大臣は、遙かの地でこの事をお聞ききになられて、たいへん哀れに思われて、
 みちのくのしのぶもぢ摺たれゆゑに
       みだれそめにしわれならなくにと詠まれたのだ。」

 特集記事の「現代も魅力あふれる『おくの細道』」では、読者はこの伝説を知っていることを前提に、芭蕉が以下のエピソードで、伝説の表面が見られなかった事にがっかりすると紹介する。
  「この石は、昔は山の上にあったが、親に別れ親に別れた者などが皆ここに詣でるのに来て、麦草でこの石をこすって再会を祈るようになった。それで、ここの農民などは麦畑を荒らされるのを怒って、この石を突き落としてしまった。それで、石は麓に転げ落ちてその面が下になって、そのまま土に埋まってしまって、石の表面が下になっているという。」
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 気になったのは、その後の以下の部分だ。
 子規も、この石のエピソードを知っていて、ある殿様が、たくさんの労働者を集めて、石を掘り起こさせようとしたが、掘ってみると小山のような大石で、人の力では動かす事が出来なかった。仕方なく諦めたが、石は大体現れていて、今のように柵をめぐらせた。昔の趣を損なっていると、雅を好む人たちは嘆いていると語っている。逆さまである事よりも、柵が作られてしまったことにがっかりしているわけだ。
 紹介文では「ある殿様」とするが、子規は「某殿」として紹介している。
 実際は、この最初の試みは元禄7年頃の領主堀田氏の弟正虎氏と聞く。ここは確かに「殿様」だが、更にその後、明治18年時の信夫郡長であった柴山氏が試みているとか。
 子規は、その前段で、芭蕉が訪ねた時には「石半土に埋てある」という状態だったのが、今は芭蕉が訪ねた時とは少し違っているとの紹介をしているのだ。このことを考慮すると、「柵で今のように結いめぐらせる」ようにして、昔の趣を損っていると雅人は歎いている状態を作ったのは、信夫郡長柴山氏ということになるのだと思う。これは、「某殿」ではあるが、「殿様」とするとイメージが狭ま過ぎのような気がするが、まあどうでもいい話ではある。

 子規は、②のこの石と関わる「信夫摺り絹」で締める。
 「ここ信夫の里の絹は、かつて都人に珍重されて一世を風靡したという。文知摺り石は、その石の乱れた模様に布をあてがい、その上から忍草などの葉や茎の色素を摺りつけたものだ。歌の世界では、この乱れ模様にかかわって、心の乱れを表す歌枕として「しのぶすり」を用いるとのことだ。」

 この「しのぶずり」が創作された背景については次のように説明する。
 「実は、この国(信夫の里)は、昔から帛(きぬ)を献ずる例があった。
 その時に、ただ白いだげでは趣が無いというので、一度試しに信夫山の惹草を採って、拾ってきた紋形のついた石に摺って、それに帛を摺ったものを奉ってみた。すると都の貴人がとても気に入られたという。それて、それからは毎年の例となって、この地の名物として今に残っているものとのことだ。
 その紋形のついた石というのは化石のたぐいだという。しかし、化石というのでは趣が無いので、そこはぼんやりとさせた言伝えにしているらしいということだ。

 涼しさの昔をかたれ葱摺
        しのぶ摺我旅衣汗くさし


 特集記事では、こちらは紹介されない。
by shingen1948 | 2012-09-25 05:20 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)