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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂温泉湯沢の「和久屋」の勝手な検索結果

a0087378_613284.jpg 子規の飯坂泊旅館は曖昧だが、とりあえず勝手に飯坂温泉湯沢の「和久屋」泊を仮定したところだ。その「和久屋」さんの位置だが、地図を頼りにすればこの辺りだろうか。赤い瓦屋根が現中村屋さん、旧花水館さん。
 その勝手な仮定の上で飯坂温泉「和久屋」を検索してかかった情報の中で、興味深かったのは以下の事。
 ○  「蛋白石」<宮本百合子>
 小説というフィクション(虚構)の中だが、宮本百合子の作品には、飯坂温泉を訪れた時の見聞と「取材メモ」にもとづいて構想されたものが多いと聞く。その可能性もあるとみてメモしておく。
 篤が徒歩旅行でそこいら中の温泉を歩き廻った時の事を話す場面の中の描写。
 「私の行った温泉の中で飯坂の温泉はかなり気持がようござんしたよ。
 私は妙に東北の温泉へばっかり行きましたからねえ。
 和久屋ってね、
 昔お女郎屋をして居たんだって、
 作りなんか、かなり違いましたけど磨きの行き届いた広い階子や女王のきゃしゃな遊芸の上手なのなんかはどことなし他所と違ってました。
 雨なんか降ると主婦と娘の、琴と胡弓の合奏をきかしてもらいましたっけ。
 でもまあ一人で行くのに温泉は適しませんねえ。」
 こんな事を云いながら急に落つかない気持になって居た。
 ○  「風吹け、波たて=依田勉三 十勝を拓(ひら)く=」<松本晴雄>
 これも小説だが、十勝を開いた方の日記を元にしているということで、実在の和久屋とのかかわりの可能性も。 
 「第3章 初孫の知恵(明治41年56歳)の4月8日から10日に、伊達・信夫郡の開拓団員を探す様子が描写される。その中に和久屋泊の予定が描写される。
 八日、(盛岡の様子描写略)五時に発車し、夜十一時に長岡へ下車した。なお駅前休息所へ投宿を頼むが断られ、駅員は北海道人だけ飲食店へ投宿させたが夕食は出されず、十二時に寝た。
 九日、積雪十八センチの中、勉三は朝食後、飲食店を出るが、これ前、黒川へ名刺を送り、裏面に「飯坂温泉の和久屋にいる。直ちに参向すべし」と書いた。そして雪を踏んで湯の川橋を渡り、飯坂へ泊まろうとするが湯客多く「空き部屋がない」と断られた。そのため前の家に頼むが断られ、止むを得ず荷物と毛布を預けて滝ノ湯・升屋に投宿し、宿の者に荷物の運び入れを頼んだ。また入浴して休んでいると黒川が顔を見せ、応募状況を聞くと「低賃金のため応募者が少なく、未定者が多い」と答えた。そのため方法や給料を相談して改訂し、昼食をとって黒川は二時に去った。それより勉三は本を開くが、夜は消防団の宴会で弦声舞響騒然となって読書が出来ずに入浴し、やがて客や弦妓が退散して寂々とし、一夜、水音を聞いて寝た。
 十日、勉三は八時に起きて入浴し、食事をとって出発しようとすると黒川弟が迎えに来た。だが雪は消えずに道路はぬかるみ、箱崎の吉松宅を訪れた。ここに黒川がいて、家族全員七名が北海道行きを望み、兄弟三名が勉三のもとで働くことになった。だが他に出稼ぎ者はなく、勉三と黒川は三時に発って四時半に長岡へ着き、六時発の汽車で八時半に仙台へ下車した。(仙台の様子描写略)
 ○ 「奥奥州鎮撫使観察 戸田主水に関する記述」<としぼーのブログ>
http://blogs.yahoo.co.jp/toshikatu0214/archive/2012/9/19
 高野弧鹿という方が、昭和5~6年ころに存命だった方々に取材した奥州鎮撫使にかかわることを記録したのを読んで、その概要をまとめた記述のようだ。
 この男(奥奥州鎮撫使観察 戸田主水)について、現在慶応四年4月25日、九條総督に世良批判の、いわば内部告発をしたとされる。翌々日から岩沼本営から姿を消すのである。
 仙台藩が内密に面倒を見ていたふしがある。
 その後、会津に赴き閏4月中旬福島に姿を現す。仙台藩の大越文五郎と共に、福島藩公に謁見、饗応を受け金子、短刀を拝領。その後、飯坂温泉和久屋で接待を受ける。接待の際、福島藩としては重要人物として取り扱った。飯坂の名家である堀切三郎右衛門が保原陣屋代官に替りとして、旅館には取り扱い向きを充分注意するよう申し伝えている。
 奥奥州鎮撫使観察 戸田主水に関する記述は、少なくとも明治初めということ。そして、宮本百合子取材飯坂泊は大正5年と大正6年頃。
 これらの記述が実話とすれば、その間、和久屋が、飯坂温泉湯沢の中心に存在したということになるのだろうか。
by shingen1948 | 2012-09-24 06:18 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)